やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

嵯峨とベトナムを結ぶ - 角倉了以

嵯峨とベトナムを結ぶ - 角倉了以

京都の町に高瀬川や白川がなかったらどんなにつまらない景色だろう、と思う。

豊臣から徳川への動乱の時、京都嵯峨に角倉了以なる人物がいた。

祖父は企業家、父は医者という家系。

朱印船によるベトナムとの貿易で巨万の富を蓄えた。

この資金で角倉了以高瀬川を開削したのである。

鴨川の二条付近から水を引き入れ伏見港につながる約10キロの運河。

京都の経済が潤うだけでなく、鴨川の洪水対策にもなった。

角倉家はこの高瀬川の通行料でさらに潤い、了以の息子素庵はベトナムとの交易を復活させたり、京都の文化を支えた。

高瀬川三条通りが交差する辺りに瑞泉寺というお寺がある。

豊臣秀次と惨殺された39人の子供妻妾を供養する寺だ。

これも角倉了以が建てたものである。

角倉了以が残した家訓

「人を捐(す)てて己を益するにはあらず」