やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

2年6ヶ月 ― 無謀の道程

2年6ヶ月 ― 無謀の道程  

 

 2010年11月11日、「ミクロネシア海上保安能力強化に向けた第3回官民共同会議」がパラオで開催された。会議翌日、羽生会長とお話ができた。

 「2年半でここまでやるってすごいことだよ。」

 2年半を回想した。

 

 2008年5月、日本財団笹川陽平会長と笹川平和財団羽生副会長(当時)が来日中のマーシャル大統領と会談(実は私がアレンジしました)。海洋事業支援の要請が出た。早速マーシャルに飛び、ミクロネシア海上保安庁構想を羽生会長が着想したのである。私からはミクロネシア地域の協力枠組みを活用することを具申させていただいた。

 

 その足で「ニウエ条約」「ナウル協定」「PPBP」と必死で資料を読みながら、ミクロネシア3国の大統領・閣僚と協議。森元首相とのミクロネシア訪問も重要だった。10年位前の話のように思える。

 ミクロネシア大統領サミットも話し合いばかり続き、アクションが欲しい時期に重なった。2008年11月のサミットで承認を得られた。おまけに3大統領名で米豪政府にその旨の手紙が発信したのだ。

 

 当初、米国の裏庭と思っていたミクロネシアの海洋は冷戦終結後、豪州がPPBPで守っていた。豪州との協議が始まった。米国は最初から乗り気だったはずだ。確かジョセフ・ナイがワシントンの会議で羽生会長に日本の協力を打診したのもきっかけの一つだったと記憶する。

 

 2009年、日米共同の現地調査を経て日本側の支援案が出来てきた。2010年3月に開催した初の6カ国+2NGO会議では米豪が強いリザベーションを示した。逆に米豪に対し、ミクロネシア側が主権を無視する態度、と切れた。その後米豪との根回し。日本側は海上保安庁の協力体制を強化。

 

 本来ならば外務省の仕事、との批判が当初より、内外からあった。このブログ開始前、情報発信を始めたのは、羽生会長から島の事を教えろとの指示があったからだが、関係者に本事業への理解を得る必要がある、と痛感したからだ。

 今では外務省の担当課長が変わり180度の変化。今回のパラオ会議には外務省本省、在パラオ日本大使の積極的参加を得られた。

 

 先月キャンベラに何度も飛び、豪州政府と何時間も協議した成果もあった。今回の会議では米豪とも前向きだった。

 日本側の参加者も増えた。背景も価値観も違う人々だ。ビジョンの共有が必要である。

 

 

 以上、ここに書いたのは私の知っている範囲の活動だが、もっと多くの動きがあったはず。2年半は無謀の道程だったかもしてない。が、やりがいのある仕事をさせていただき、改めて羽生会長に感謝した。

 

(文責:早川理恵子)