やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

『文明の生態史観はいま』

『文明の生態史観はいま』 梅棹忠夫編、中央公論新社、2001

昨年2010年7月3日に国立民族学博物館の梅棹忠夫先生が亡くなられ、ブログにも書かせていただいた。  うろ覚えで引用した『文明の生態史観はいま』にある太平洋国家連合のことが気になっていたが、昨日再読できた。

<灯台下暗し>   

同書で梅棹先生が主張された「太平洋の諸島を結び合わせた太平洋国家連合」が示されているのは、第5章の講演「海と日本文明」。なんと1999年7月28、29日に日本財団が主催した「海は人類を救えるか」と題した海洋シンポジウムの記録だった。  その頃、私は故田淵会長と故三塚博議員をパラオにお連れする準備で永田町とパラオ大使館と財団事務所を走り回っていた。

<梅棹先生の広く深い知識>  

同書の第4章には4人の識者からのコメントが掲載されており、一番バッターが太平洋学会の大島㐮二先生。2章3章で梅棹先生と展開している川勝平太さんの海洋史観を歓迎しながらもバッサリやっている。そう言えば梅棹vs川勝対談の海の話もどうも噛み合っていない。  

最初、海の話は任せるよ、と言っていた梅棹先生が、対談の最後では「ひとつわたしも海の問題をもうちょっといろいろ考えてみましょう。」と気を変えている。  

オーストロネシア語族が西はマダガスカルから東はイースター島まで分布していることは「太平洋のネットワーカーたち」に書いた。   

最近、知人のアソール・アンダーソン博士とジェフ・クラーク博士がマダガスカルで発掘調査をしたと聞き、私も初めて知ったのだが、マダガスカルに渡ったオーストロネシア語族はインドネシア辺りから船で出立して、途中インドやソマリア辺りに一切立ち寄らず、マダガスカルに直進したらしい。その距離、8千キロ。飛鳥・奈良の頃らしい。  対談では川勝氏が沿岸沿いに移動した、と思い込んでいるのを梅棹先生が言語学等の情報を元に指摘。  知らなかった川勝先生を攻めるつもりはない。オーストロネシア語族を専門にする考古学者位しか知らない話だ。それより梅棹先生が知っていたことが驚きだ。

<日本民族の生きる道ー西太平洋同経度国家連合>  

最後に重要な箇所を、長いが引用しておく。

220-221頁から引用  

大陸ではなく、海に関心を持ちましょう。海は日本のもともとのふるさとです。海に戻りましょう。海というのはどこのことでしょうか。南を向きなさい。太平洋にはたくさんの島があります。その島じまと日本の連帯を考えるのです。大陸へ行くには西に向かって同経度をたどってゆくわけですが、こんどはそうではなくて、南北の同経度連合を考えようというのです。太平洋の諸島を結び合わせた太平洋国家連合というゆきかたがあるのであないでしょうか。日本、インドネシア、ミクロネシア連邦、フィリピン、パプア・ニューギニア、オーストラリア、さらにニュージーランド、これらとの島嶼国家連合を本気になって考えないといけません。  なかでも、とくに大事なのはオーストラリアです。いま、オーストラリアの鉄鋼、アルミ、天然ガスなどの、あの安定供給がなければ現代の日本文明を支えことはとうていできません。オーストラリアと日本とは共存共栄のぬきさしならぬ関係にはいっております。将来もそうだと思います。ですから、西に向かって大陸に手をだすことはもう考えるな、日本からオーストラリアにかけての西太平洋同経度国家連合を考えたほうがよろしいですよということです。これが日本民族の生きる道、21世紀以降の未来図だとわたしは考えています。