やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

アダム・スミスの「浪費家と山師」―ウォールストリートのデモに寄せて

アダム・スミスの「浪費家と山師」―ウォールストリートのデモに寄せて  超遅読術でアマルティア・センの『自由と経済開発』を英語のオリジナルと平行で読んでいる。1頁に数時間かかることもあるが、これを理解しないと前に進めないのだ。  ちょうど第5章の「市場、国家、社会的機会」という章のところでアメリカで行われているウォールストリートのデモのニュースが入って来た。  稲村公望さんのブログにジョセフ・スティグリッツがこのデモに参加し、路上演説をしているビデオを紹介していた。確かに傑作だ。米国ではデモで拡声器を使用する事が法律で禁じられている。(自由の女神は知っているのか)それで、スティグリッツ教授が述べた言葉を回りに集ったヒッピーのような若者達が復唱し、拡声する方法で演説が行われた。  さて、第5章の「市場、国家、社会的機会」にはアダム・スミスが沢山登場する。倫理学者である、しかもかなり世離れしていそうなアダム・スミスは、パン屋や肉屋や酒屋が人を騙しても傷つけてでさえも利益を得ようとする場合がある事を想定していないのではないか、と長らく考えていたが、とんでもない勘違いだった。彼はちゃんとこの世の中に「浪費家と山師」がいることを議論している。  この議論を飛ばして結論を言うと、ウォールストリートのデモは「浪費家と山師」への糾弾と言うわけだ。市場経済に則って、自由競争社会で勝ち、地位も金も得た一部の人々。正当な手段で努力して得た地位や収入であれば誰も文句を言わないであろう。しかし、彼らを守る法律がどこまで倫理に適しているのか、そして自由競争で失敗した彼らの損失を国民の税金で補う事の正当性は市場経済はどのように説明できるのであろうか。  アダム・スミスが生きていれば、きっとジョセフ・スティグリッツやジェフ・マドリックと並んであのデモに参加し演説していたに違いない。  最後にスミスの言葉を反復しインターネットで拡声したい。 「貿易、製造のどの特定の分野でも、業者の利益はある面では常に国民の利益と違うし、反対であることさえある。市場を拡大することと競争を狭めることは常に業者の利益なのである。多くの場合市場の拡大は国民の利益に十分に合致するかもしれない。しかし競争を狭めることは常に国民の利益に反するに違いなく、業者の利益を自然のままで予想される以上に引き上げることによって、彼らが自分たちの利益のために他の同胞市民にとんでもない税を課すことを可能にするだけなのである。この階層が提示する商業のための新しい法律あるいは規則にはどれも、つねに十分な警戒をもって耳を傾けなければならない。そしてもっとも細心で、疑い深い注意をもって長期にわたり慎重に調査を終えるまでは決して採用してはならない。」