やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

西パプア問題

西パプア問題

 世界で起っている凄惨なニュースに接すると、太平洋島嶼国は比較的に平和であると思う。しかし、西パプア問題は深刻だ。

 正直、自分もよくわかっていない。しかし、以前インドネシアを専門とするジャーナリストから「西パプア問題は解決している。」と言われショックを受けた記憶が未だ鮮明である。解決どころか、日々悪化しているのだ。それで分かっていないなりに、書いておきたい。

 西パプア問題が一機に自分に迫ってきた理由がある。

 1962年、ソ連寄りのインドネシアを宥めるべくケネディ政権が取った妥協策ー New York Agreementが協議された国連会議に出席した西パプア最後の議長Dirk Ayamiseba氏の家族と家族付き合いをさせていただくようになったからだ。

 Ayamiseba氏はインドネシアだけでなく、若い時に日本、オーストラリアからの侵略とも闘った。そして徐々に政治リーダーになっていったのだそうだ。

 西パプアは旧宗主国オランダがその独立を支持し、インドネシアは領有権を主張していた。米国は妥協策として、国連の管理下に置き、インドネシア政府に統治を託した。1969年に住民投票で西パプアの独立が判断される予定であったが、住民投票インドネシア軍の銃口の下に行われ、西パプアはインドネシア領となったのである。

 その後のAyamiseba一家の運命は胸が押しつぶされそうになる話ばかりなのだ。それにも拘らず前向きなこの家族の生き方にどれだけ勇気づけられてきたであろうか。

 

 さて、協定が締結された1962年から住民投票の1969年までに何があったのか。

 1965年のインドネシア軍事クーデター、1967年の米国鉱山企業フリーポートの採掘権契約締結だ。即ち米国はインドネシアを西側に留めておくために、そして自国の企業の利益のために西パプアを、言葉悪く言えば「売った」のである。西パプアは二重の意味で米国の犠牲となったのである。西パプア問題とはまさに米国の問題なのだ。

 ニュージーランド、オーストラリアではこの西パプア問題について比較的議論がされてはいるが、人権運動家もジャーナリストも命がけである。暗殺された外国人関係者も多い。現地パプアの人々の惨状は下記のサイト等がある。

 日本人ジャーナリストが書かない理由があるにしても、知らない理由はないであろう。少なくともインドネシア専門と名乗るのであれば知っておいて欲しい、と思う。

参考ウェッブ

インドネシア:政治信条による訴追の横行

http://www.hrw.org/ja/news/2010/06/23-0

インドネシア:パプアで特殊部隊による虐待が続く

http://www.hrw.org/ja/news/2009/06/25-2