やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

「移動する太平洋の島の人々」(6)

(2012年1月琉球大学国際沖縄研究所のご招待で講演させていただいた内容を同研究所の許可を得て掲載させていただきます。)

「移動する太平洋の島の人々」(6)

琉球大学国際沖縄研究所:IIOS レクチャーシリーズ2011第6回

2012年1月10日(火) 18:00~19:30 (於てんぶす那覇4Fテンブスホール)

 さて、次に教育と移動のことをお話したいと思います。

 先ほど説明をしましたように、多くの島嶼国は独立したものの旧宗主国や大国との関係を重視していますので、特別な枠で留学や奨学金をもらうことが可能です。ただもちろん全員がもらえるわけではありませんので、やはり地域内での人材育成が必要となってきます。しかしそれぞれの国は大変人口も少なく、一番多い国のパプアニューギニアで約700万人、次に多いのがフィジーで70万人、そしてソロモン、バヌアツが確か50万人ぐらいで、あとは10万人、ツバルにいたっては1万人をきっています。こういった小国ですから、それぞれの国が大学を設けるというのは不可能に近い。それで1970年にこのフィジーに本校を置く形で12の島国をまとめた地域の大学、南太平洋大学(USP)が設立されました。広大な海域に散らばった島々をいかに結ぶかという課題が当初からありました。そこにちょうどいいタイミングで、冷戦の時代ですね、アメリカが衛星開発に力を入れていました。他方莫大な予算がNASAにつぎこまれることに対して米国議会内からの批判もあり、それに対処する目的もあって中古のNASAの衛星を利用した実験を発表しました。この実験に応募したのがハワイ大学です。PEACESATといいます。PEACESATはちょうど南太平洋大学ができたときと同時に開始されました。そして南太平洋大学はPEACESAT事業に参加する形でUSPネットという遠隔教育のネットワークを構築したのです。

USPNet.png

 中古の衛星ですから、燃料はまだあるのですが地上からの操作ができなくて安定したものではありません。当時は今と違って国際通信がまだモノポリーで非常に高い時代でしたから、南太平洋大学が国際電話を使えるような機会はほとんどなかったわけです。そのような環境の中で無料で国際通信ができるということは大きな意味がありました。これが南太平洋大学の遠隔教育のきっかけとなりました。80年代後半、この衛星の燃料がなくなって、どこかに飛んでいっちゃうんですね。それで南太平洋大学としては商業衛星を利用し安定したネットワークを構築し教育を行いたいという強い希望がありました。

 実は当初は笹川平和財団のほうに申請があったんですが、笹川陽平会長がこれはODA案件にせよという指示があり、島嶼国の関係者と協力し日本政府とかけあった結果、最終的には日本政府とオーストラリアとニュージーランドの3国の協調案件としてインテルサットを使ったネットワークが構築されました。

 奨学金をもらって大国に留学する人たちもいるんですが、島の中には留学できない、仕事があったり家族がいたりして留学できない人たちもいますので、この遠隔教育のシステムがあることによって自分島にいながらにして教育を受ける機会が生まれました。

 人の移動の話に戻ります。移民する人が多いのですが、やはり高い教育を持って移民したほうが、高い収入を得る可能性があります。自分の国への送金にも大きな期待があるわけです。先ほどの移民のところで一つ言い忘れたのですが、太平洋島嶼国の経済を支えているのが、一つはこれらの移民している人たちの送金だと言われています。レミッタンスです。彼らの送金によって島嶼経済が成り立っている部分が大きいと言われています。他には漁業権が、例えばミクロネシア連邦などでは1位です。あとは援助と言われています。