「テレパシー」とか「虫が知らせる」というのはある、と思う。
喜納育江教授のキーノートアドレス。質問の番が回って来ず、消化不良だった事が喜納先生にテレパシーか、虫が知らせたようだ。明日ランチをしませんか?とメールをいただいた。
琉球大学とオタゴ大学交流のきっかけを作ったのは自分ではあるが、今回の喜納教授の招聘には関わっていないし、自分は一学生なので、声を御掛けする事もなくおとなしくしていた。
喜納教授との会話は本当に面白かった。空港に向かうまでの3時間ほどの時間があっと言う間だった。
肝心の日本対沖縄の二項対立図式を御伺いするのを忘れてしまった。
たくさん出て来たテーマの中で、このブログのテーマにも関連する事を書いておきたい。
「弱者」とは何か?である。
喜納教授が話されたのは、奴隷で、愛人で、裏切り者のアステカのマリンチェである。
スペイン側に協力したマリンチェを「裏切り者」という評価から、それとは全く反対の能動的、 主体的に人生を切り開いた一人の女性、という見方がされているそうである。
マリンチェはアステカの奴隷で、スペイン人に売られたのである。
弱者で敵に寝返ったといえば「坂本龍馬」である。これは喜納教授が知らなかったのでwikipediaにある程度の内容だが書いておきたい。
下級武士の脱藩者、坂本龍馬がなぜあれだけ活躍できたのかといえば、武器商人グラバーのエージェントになったからである。長崎のグラバー邸のグラバーである。
1860年代、西欧諸国は植民地化の方法に長けていたはずである。自ら手を下すのではなく、内部矛盾を抱える日本に武器を与えて仲間同士で殺し合いをさせれば良い。武器を売った利益と共に勝った側を利用する事ができる。
ニュージーランド先住民マオリはイギリス人が持ち込んだ「マスケット銃」のために国土の3分の一を売り渡し、数万人の同胞を殺した。1800年頃の話である。
この武器商人トマス・グラバーの背後にいたのが香港を拠点にする英国のジャージン・マセソン商会である。そしてジャージン・マセソン商会と言えば白州次郎だ。
英雄扱いされている白州次郎は喜納教授もご存知で「エー!」と驚かれていた。
私も最近知ったのだ。
彼が本やドラマに出て来ない裏の部分でどのような事をしたのか。ウェッブにはたくさん出ているが、まだ把握しきれていないので(把握できないと思うが)まだここには書かない。
ただ、戦後の水産委員会議事録には彼の意外な横顔が登場して来る。
日本の漁業産業は太平洋の海洋問題と関連深い。
そしてもう一言加えると、この議事録にも出て来る戦後の日本の水産業を支援した国会議員が自分の遠い親戚であった事も偶然である。
ご存命の時に「おじさんは国会議員として何をしたのですか?」と聞いた記憶がある。
「633制を作ったんだよ。」という返事だった。
ナアンダそんな事か、と思った当時中学生だった自分の事も覚えている。
戦後の日本がどういう状況であったか知り始めたのは最近だ。
占領下での教育改革の意味を知ったのは最近の事である。
三菱の人ゆかりの人
vol.01 トマス・グラバー (上) (下)