「サン・バルテルミの虐殺」 フランソワ・デュボア作
小室直樹著『日本人のための憲法原論』にこのユグノーがちチラっと出て来る。
ユグノー(プロテスタント)、ヨーロッパの勢力均衡を動かす重要な存在だった。
アンリ4世
新教と旧教の壮絶な戦いの後、1598にアンリ4世が発布したのが「ナントの勅令」
”ユグノー戦争は急速に収まりを見せ、フランスの国家統一の出発になった。国家財政も安定し、17世紀のフランスの大国時代を作り上げた。”
とwikiにある。
ところが1685年、ルイ14世がこの勅令を廃止。
ユグノーは金融業・商業・工業の発展に大きく寄与し、ナントの勅令廃止後その技術と資本がイギリス・オランダ・スイス・ドイツに流出。当時、フランス人口の15人に一人がユグノーだったという。
結果隆盛を極めたフランス経済は衰退する。そしてヨーロッパの遅れた地域であったプロイセンが大きな経済力を持つに至ったのである。
このユグノー海上交易でも活躍していた。
”ラ・ロシェルやボルドーにおける海上交易の発展にもユグノーは多大な寄与を為していた。ボルドーにおいては主にイギリス・オランダとの交易を担い、ラ・ロシェルにおいてはナントの勅令直前まで貿易は彼らの独占状態にあるという有様であった”
wikiより(金哲雄『ユグノーの経済史的研究』pp.66-67)
ゴーデフロイ家が上記の海上交易に関与していたかどうかわからないが、ラ・ロシェル出身だそうだからその可能性も捨てきれない。このユグノーと南洋の経済開発、また米国との関係も紐解くと面白そうだ。
アメリカの太平洋の世紀。いよいよ中世の宗教戦争まで辿り着いてしまった!