「日米同盟の動きも睨んで「海洋安全保障」やっています」
と言うと100人中99人が、怪訝な顔で反応する。
大学教授レベルでも「戦争でもする気か。」と言ったりする。
きっと「海洋安全保障」いや「安全保障」について知らないのだろう。
無理もない事である。
樋口レポートを実質的に執筆された渡辺昭夫先生にこのレポートにも書かれている”海上自衛隊と海上保安庁の協力”について伺った時、「日本にはまだこの分野の研究が弱い。」との回答を得た。
<セキュリティって何?>
確かに「安全保障」と書くと物々しい。戦争がすぐ頭に浮かぶ。
「セキュリティ」と書けばどうか?
戸締まりから始まって、サイバーセキュリティもある。
ヒューマンセキュリティなんかもある。これを日本語にすると「人間の安全保障」。
開発をGDPだけでなく、政治に参加できるか、とか学校に行けるか、とかさまざまな脅威から解放されているか、という視点で評価しようという内容。
これ、故小渕首相が、日本が提案した概念。
大昔、日本の女性の大学教授が対談で「子供を持たないと”安全保障”は理解できない。」と言っているのを読んだ時、随分差別的な発言だな、と反感を持った。子供がいない人には安全保障がわからない、と言うのか。自衛隊が出す雑誌だったが捨ててしまった。
でも母親になってわかった。子供がいるという状況は全ての状況においてセキュリティを、安全保障を意識していなければならない。あの雑誌捨てなければよかったと後悔している。
セキュリティ、安全保障の概念とは、まさに太平洋の海のように、限りなく広く深いのである。
<海洋安全保障と言えば法執行>
アヒルの赤ちゃんが卵から出た時に目の前に猫がいれば、猫を親だと思ってついて行くそうである。
当方が海洋安全保障の事業を始めた時に目の前にいたのが、寺島紘士常務と羽生会長であった。どちらも「海洋安全保障は法執行で」と主張する方である。(私の誤解かもしれません。)
なので、海洋安全保障といえば、当方にとっては「法執行」「法の秩序」Law and Order の世界。
戦争なんて、何言ってるの?
おっちゃん、なんもわかっちゃいなね。子育て参加してないでしょ?と心の中でつぶやくのである。
といっても軍事と法の境というか、垣根は明確ではない。
昨年のシャングリラ会議で、米国の軍事的太平洋進出は中国の軍事的脅威に対抗するものだろう、とのしつこい質問にパネッタ長官が答えている。
「軍事行動と経済やその他の動きは切り離せないのです。」
資源を獲得するために軍隊を派遣するのである。戦争をする事が自体が目的ではない。(軍産複合体の議論は置いておいて。)
<女王様の海軍>
海軍というのは陸軍や空軍と違うらしい。どう違うのか。
外交、貿易、科学調査、軍事行動、法執行等ありとあらゆる活動を、一国を代表し、また女王の信託を得て行うマルチタレント集団、だったという歴史的背景がある。
スペイン領から財宝を奪ったフランシス・ドレイク船長しかり。金星の位置をわざわざタヒチ近くまで計りに行ったジェイムズ・クック船長しかり。
今でもイギリス系、Royal Australian NavyとかRoyal のつく海軍やその名残のある海軍は法執行権を維持しているらしい。聞きかじりで確認していません。
<グリーンな海軍>
PACOMのロックリア司令官がキリバスの海面上昇を懸念している話を以前書いた。
(ロックリア司令官が語る太平洋 http://blog.canpan.info/yashinomi/archive/755)
またキャンベル国務次官補のアイランドホッピングに同行した太平洋艦隊ウォルシュ司令官も島嶼国のEEZにおける違法操業取り締まりが課題、と述べている。
気候変動・海洋資源を海軍が研究し、守る、という動きが、ここ数年気になっている。
ASPIのベルギン博士まで同様な事を言い出した。
Climate change and the ADF - Anthony Bergin, ASPI
環境問題を、海洋資源管理を、海軍がカバーすべき、との意識がある。法執行との協力関係がさらに重要になって来る、という事ではないだろうか。
梅棹忠夫さん流に言えば、海軍も時代に合わせ変態、Metamorfoseする。
<関連ブログ>
WarshipsからLawshipsへ
http://blog.canpan.info/yashinomi/archive/217
再び warshipとlawship