家族の死に向き合う事となり、49日ってなんだろう?と改めてウェッブで調べた。
死んだ本人は何もわからないわけだから、死後の色々な行事は残された家族が友人が、その人の死をどのように受け入れるか、という話ではなかろうか?
初七日 初願忌 十三仏:不動明王 書類審査、生前の行状が裁かれる。
二七日 以芳忌 十三仏:釈迦如来 三途の川を渡るところで裁かれる。死出の旅路の難。
三七日 洒水忌 十三仏:文殊菩薩 生前の邪淫の罪が裁かれる。
四七日 阿経忌 十三仏:普賢菩薩 秤を持って生前の罪の重さが決められる。
五七日 小練忌 十三仏:地蔵菩薩 水晶の鎧に生前の行状が映し出される。
六七日 檀弘忌 十三仏:弥勒菩薩 五官王の秤と閻魔王の鏡で再吟味する。
七七日 大練忌 十三仏:薬師如来 最後の審判かくだされ、行き先が決まる。
百ヶ日 卒哭忌 十三仏:観世音菩薩 慈悲の心により修行の楽しさを教え、喜びに導く。
一周忌 小祥忌 十三仏:勢至菩薩 無限の光明と知恵により、さらなる精進の道へと導く。
三回忌 大祥忌 十三仏:阿弥陀如来 ひたすら信仰に徹するという一念に導く。
七回忌 遠波忌 十三仏:阿閃如来 悟りや信心をより堅固なものに導く。
十三回忌 遠方忌 十三仏:大日如来 これまでの修行と悟りを点検し、さらなる悟りへと導く。
三十三回忌 十三仏:虚空蔵菩薩 33年の長い修行を行い菩薩の世界に入り、「ご先祖様=守り神」の仲間入りする
(「彩石」ウェッブ参照させていただきました。 http://www.saiseki.net/index.html )
49日の七七日までが六道輪廻。十三仏の内7仏が死者の裁判をして行き先が決まる。
これを見ると死んでからも色々大変なんだな、と思う。
が、これは実際には、人は死んでからも色々裁きを受けますから、生前よくよく「良く」生きなさい、という意味ではなかろうか。
死者のふり見て我ふりなおせ、という事か。
老荘思想的には、またユダヤの格言的にはいい事をしている人は悪い事もしているし、悪い事をしている人はいい事もしているはずだ。このインド伝来の死後の世界、なんとなく違和感がある。
お坊さんに聞いてみよう。