やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

鉄血宰相ビスマルクに愛された太平洋(8)カロリン諸島とマリアナ諸島 その2

(このブログは高岡熊雄博士著『ドイツ内南洋統治史論』を参考にまとめています。)

 

スペインが領土を宣言しても300年近くほとんど手つかずだったカロリン諸島。パナマ運河の開業計画と共に、カロリン諸島はアジアと北米を結ぶ要衝となる事が広く話題になり、地政学的、戦略的意味は一挙に拡大した。

 

ドイツは1873年、以前このブログで紹介したゴーデフロイ商会とロバートソン・ヘルンスハイム商会がヤップ島、パラオ島に営業所を設置。これに対しスペインはドイツに強く抗議し、1874年これらの島々で商取引をする外国船は必ずフィリピンに寄港し、許可証の取得と納税をする事を要求した。

これに対しビスマルクは、スペインとポルトガルが300年前に締結した条約を持ち出し主権を主張するとは何事か、加えて事実上無主地である島々におけるドイツの商業活動、居留地の障害となる対処には断固として抗議する、と返した。スペインは一旦はカロリン諸島の主権を譲る姿勢を見せ、ドイツは1885年にマーシャル諸島と共に同群島を保護下に置く事を決定した。

しかし、これらの動きに対しスペイン国民の世論が変化し始め、スペインの主権を主張しだし、ドイツに抗議。これに対しドイツは1874年カロリン島民の難破船を救助した事に関連し、独英政府連名で同群島がスペインの領土ではない事をスペイン政府に通達したにも拘らずスペイン政府が無回答であった事をあげ、スペイン政府がカロリン諸島に何ら正当な主権は有しないと抗議。

さらにドイツ政府はこの交渉が妥協点が見いだせない場合は、両国と親交のある国に仲裁を依頼する事を提案した。しかしスペイン政府これを無視し、フィリピン島に停泊中の巡洋艦をカロリン諸島に派遣し実力行使で占領を宣言する行動に出た。

この情報を得たドイツは機先を制し砲艦をヤップに送り先にドイツ国旗を掲揚。続いてパラオ、ポナペ、トラック、コスラエにもドイツ国旗を掲揚した。

これを知ったスペイン国民は激昂し、ドイツとの国交断絶を叫んだ。ドイツ海軍はスペインなど取るに足らない軍力であり勝利は確実であると開戦を盛んに主張した。

 

以上、少々ごだごだした交渉内容なのですが、この次にまとめるビスマルクの英断に続くこれらのやりとりは現在の領土問題にも少なからず参考になるのではないか、と思いました。