やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

『残心』を読んで(2)

「誰かを、何かを支援するということは、水面に小石を投げ入れることに似ていると思う。砂を投げ入れても、波ができるまでにはいたらない。石が大きすぎてもきれいな波はできず、ドボンと沈むだけだ。ー中略ー 波をおこしたい場所に、ちょうどよい大きさの小石をちょうどよいタイミングで投げ入れる。」『残心』291-292頁より。

笹川会長の仕事の流儀である。

この箇所を読んだとき、私と同じ流儀だったので大変嬉しく思った。

私は川の流れを見極めて、どこに、どの角度で、どの早さで、どんな石を投げるか、考え仕事している。確かクラウゼヴィッツ戦争論を永井陽之介教授から教わった時にヒントを得たと記憶している。

今年7月の安倍総理パプアニューギニア訪問を機に、笹川良一名誉会長が同国の独立を支援した世界で唯一の人物であったことを、積極的に話すようにしている。

パプアニューギニアの独立支援したのは私のボスのお父さんです。」

「え!何をしたの?」

「えー、ソマレ閣下の自伝によると日本に招聘し、日本の首相との会談をアレンジ。独立を左右する選挙の時にジープとバスを一台ずつ。。」

「それだけ?」

「。。。」

ソマレ閣下の自伝にはそれしか書いていない。

日本に呼んで、ジープとバスを一台ずつ支援することだったら誰でもできそうな話である。

でもきっと、笹川良一氏は慰霊に訪ねたウェワクで偶然出会った革命家ソマレ青年,後の国父の人物を瞬時に見抜いたのであろう。そして支援の時機を見抜き、必要最低限の支援をしたに違いない。

何よりも、日本訪問はソマレ閣下に独立への確信と勇気を与えたようなのだ。白人でなくても経済的成功は得られる。戦争に負け、あれだけ痛めつけられたにも拘らず日本はここまで発展した。

パプアニューギニアが独立発展できないワケはない、と。