やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

天皇陛下のご感想(新年に当たり)

謹賀新年

 

今年もよろしくお願い致します。

 

天皇陛下のご感想(新年に当たり):平成27年 - 宮内庁

を発表されているのを初めて知った。今年は戦後70周年の事について、述べられている。

”本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々,広島,長崎の原爆,東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に,満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています。”

英語もウェッブサイトに出ており、後半の満州事変の件は、

”I think it is most important for us to take this opportunity to study and learn from the history of this war, starting with the Manchurian Incident of 1931, as we consider the future direction of our country.”

と訳されている。

"I think" で始まる文は日本語にはない主語 "I" が、天皇陛下のより強いお気持ちを表しているように感じられる。また例年より一歩踏み込んだ表現になっているようにも思える。

 

天皇皇后両陛下がこの70周年にパラオを、ミクロネシアを、そして太平洋を選ばれた意味を再度考えたい。

日本は、朝鮮、台湾、樺太、関東州、そして南洋諸島の植民地を持っていた。

パラオは占領後すぐに軍事政府が100%に近い義務教育を開始した。当時の軍部は植民とは何か、新渡戸稲造先生や矢内原忠雄先生からよく学んでいたに違いない。

さて、満州事変だが、私は昨年民主党の近現代史研究会を松井孝治氏から教えていただき、「二・二六事件とその時代――危機的状況下の日本」という帝京大学文学部日本文化学科教授・学科長の筒井清忠氏の講演を拝読する機会があった。民主党のサイトからダウンロードできる。

当時満州に21万人もの祖国に帰れない日本人がいたことが強く心に残った。そして軍縮で失業した軍人達の不満があった。ここに1929年の恐慌が加わる。

下記は筒井教授の講演記録から。

「しかし、この 21 万人の人たちというのも、多くは日本に帰ってこられないような人たちだったのです。「帰ってくればいい」と言っても、大部分の人は日本国内ではもう行き詰まって生活ができなくなっているような人が、そこにいるということだったのです。後から考えてみれば 石橋湛山や大阪財界人の言うとおりにしていればよかったのですが、それは全部歴史の後知恵 だからわかるので、そのときに21万の人に帰れと言ったって、帰るところもないんだからこれ をやるのは大変なわけです。で、この 21 万人を守る関東軍の将校の間では、「ここで一か八か 軍事行動を起こして日本の権益を守ろう」ということになってしまい、1931 年に満州事変を起 こすことになるわけです。」