やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

笹川太平洋島嶼国基金とPIF

PIF - Pacific Islands Forum. 昔の名前はSouth Pacific Forum.*

当方が財団に入った時の課題がこのPIFで、最初の出張はPIF事務局長に会いに行く事であった。

どういう経緯かは知らないのだが、1989年に設立された笹川太平洋島嶼基金PIFをパートナーとして、具体的には事業費の半分はPIFが探してきたものに当てるという協議がされていたようである。

しかし、これがなかなかうまく進んでいなかった。

島側は自由に使わせろ、という態度だったようである。

テレビを買えとか,海底鉱山を開発しろ、とかそういうリクエストばかりであったそうである。

多分PIFがどのような組織かよく理解しないまま進めたのではないか、と若干20代の新入社員でしたが、取りあえずPIFがどんな組織なのか、という事から調べた始めた。

PIFは島々か独立して行く中で、一向に島国の声を聞こうとしない旧宗主国(米、英、豪、仏、NZ, 蘭)のSPCに対抗してフィジーのカミセセ•マラ閣下が1971年創設した。この時、豪、NZを入れるかどうかはマラ閣下の苦渋の選択だった、と当時を知るソマレ閣下が述べている。

で、PIF自体は具体的な事業をやっているワケではなく、地域のとりまとめ的な存在である。

で、本来島の声を優先させるべき組織であったが、豪NZが牛耳る結果となってしまった。

しかも、透明性、効率性、等々についてもその頃から批判する声が周辺にあった。

まさにフィジーのイノケ外務大臣PIFを批判しているそのままの状況が90年代始めには既にあったのだ。

結果、PIF基金のカウンターパートとして適切かどうか、大きな疑問が浮かび上がった。

しかし、当時、日本の金利は5%強で、30億円の基金の利子は年間1.5億円位であった。その半分でもPIFにとって大きな予算である。これを諦めさせるのは難しいのではないか、とも考えていた。

幸運な事に1992年から、キリバスの初代大統領のイレミア・タバイ氏が事務局長となった。

20代で大統領になり、漁業交渉でソ連と米国を相手にした人物だ。

何度か面談をさせていただいのだが、就任後すぐ、タバイ氏からPIFには基金事業をマネージするキャパない、と断ってきていたいだた。

「なぜですか?」とは聞かなかったが、多分タバイ氏はPIFの運営面の課題をすぐに見抜いたのであろう。

その数年後、笹川会長(当時は基金運営委員長)から任されたUSPNet案件を、当方からタバイ氏に相談し日本のODAにするようPIFとして動いていただいた。

タバイ氏は豪州との事前調整はしなかったようである。なぜかと言うと日本政府が本件を豪州NZに提案したところ、豪州は日本の関与を反対していたからだ。USPも俺たちの縄張りだ、というワケ。

タバイ氏は、PIF内での、また太平洋での豪州の過剰な干渉にも気づいていたに違いない。

多くの課題を抱えるPIF, 現在の事務局長はソマレ閣下の私設秘書もされていたMeg Taylor女史である。外野からの声は、いかにTaylor女史がPIF内の官僚制(即ち非効率、不透明等々を意味するのだと思うが)を打破できるか、にかかっているとの事だ。

1999年,強硬に抵抗するNZのヘレン・クラーク首相と豪州のジョン・ハワード首相をパラオのクニヲ・ナカムラ大統領が押さえ込んで"South"を取りました。

これ、ナカムラ大統領ご本人から伺いました。まさに、大和魂パラオに生きる。

ナカムラ大統領から「日本はもっとしっかりしないとダメだ!」との一言もいただきました。