「プレスもみんな引き上げ、また元のパラオに戻りました。」
きっと、パラオは以前の姿のまま ー 日本人は観光以外それほど関心を持たない、中国の投資やカジノ問題で揺れる、いつものパラオに戻るであろう。
天皇陛下のお言葉で気になったが、これもなぜかメディアがあまり取り上げていない箇所がある。
日本軍はペリリュー、アンガウル島での激戦の前に島民が巻き込まれるのを避けるため、いっしょに戦いたいという島民を騙してまで、逃がした、という美談を色々なところで見る。
これは事実なのだろうが、悲劇の部分もある。それを天皇陛下はきちんと述べられているのだ。
「日本軍は貴国民に、安全な場所への疎開を勧める等、貴国民の安全に配慮したと言われておりますが、空襲や食糧難、疫病による犠牲者が生じたのは痛ましいことでした。ここパラオの地において、私どもは先の戦争で亡くなったすべての人々を追悼し、その遺族の歩んできた苦難の道をしのびたいと思います。」
中には、パラオの人にひどい事をした日本人もいたのかもしれない。
しかし、パラオ始めミクロネシアの人々はあまりそれを言わない、特に中国や韓国と比べそれを言わない、と思う。
理由は日本から援助をもらっているから、ではないと思う。
天皇陛下のお言葉にも登場した、ナカムラ元大統領。
「パラオには、南洋庁が設置され、多くの日本人が移住してきました。移住した日本人はパラオの人々と交流を深め、協力して地域の発展に力を尽くしたと聞いております。クニオ・ナカムラ元大統領始め、今日貴国で活躍しておられる方々に日本語の名を持つ方が多いことも、長く深い交流の歴史を思い起こさせるものであり、私どもに親しみを感じさせます。」
このナカムラ大統領がインタビューで「パラオの人は日本人を愛している。」と述べていたのが印象に残っている。外交辞令が全く入っていないとは言えないかもしれないが、ナカムラ大統領と少し交流のあった当方の見解は「本音」だと思う。
なぜか?
ナカムラ大統領から一度言われた事がある。
日本の対太平洋島嶼政策があまりにも後ろ向きだった頃、即ち島サミットが始まった1997年頃である。(この流れを変えたのが笹川会長が小渕総理にアドバイスをした2000年の第二回島サミット。)
「僕は、日本人でもある。日本はもっとしっかりしなければだめだ。」
この言葉はショックだった。ナカムラ大統領の家族は「ナカムラ」という名前を残したのである。
捨てる事もできたかもしれない。
パラオでは日本人の名前が多い。それは日本人の血が入っている事がステータスであるからだ、と聞いた事がある。真偽はわからないが、パラオの人にとって日本は特別なのである。
それでは、日本人にとってパラオは特別か?
残念ながら、広く一般的にはそうでないであろう。
だから今まで通り、観光以外のパラオの問題も微力ながらこのブログで取り上げる努力は続けたい。