パラオの海底通信ケーブル接続の件で、引き続き動いている。
当方にとっては15年越しの案件である。
起源はもっと遡る。
1988年、日本政府に10年先駆けて笹川平和財団が開催した太平洋島嶼会議開催の前後に(当方はまだいなかった)フィジーのカミセセ•マラ閣下が笹川会長に太平洋島嶼国のために衛星を上げて欲しいと要請。
会議の成果として設置された基金が南太平洋大学が開発していた遠隔教育ネットワークーUSPNetの支援を検討する事となった。1991年財団に入った当方の業務はここから始まる。
途中笹川会長(当時基金運営委員長)の判断で日本のODA案件にする事になり、日本政府主催の1997年第一回太平洋島サミットの目玉案件にするに至った。
南太平洋大学にはミクロネシア諸国は入っていない。(マーシャル諸島は加入)
USPNetの次の目標としてミクロネシアの遠隔教育ネットワークを設置すべく、まずは2つ目の修士論文を、提言も含める形で、渡辺昭夫教授の下でまとめさせていただいた。
パラオのナカムラ元大統領の要請もあり、ミクロネシアの通信ネットワークの案を作成し、2001年フィジーで、ナカムラ元大統領から森元総理に直接手渡す事ができた。
2001年という年を覚えているのは理由がある。
森元総理のフィジー訪問をアレンジをされたのは笹川会長である。9.11のすぐ後で、森元総理がフィジー行きをキャンセルする動きがあったのだが、笹川会長からアドバイスがあり、フィジー訪問が実現したと聞いている。
その後、外務省(多分当時の宮島大洋州課長)の判断で同案件は却下されてしまった。
しかし、当方は諦めずに2002年には通信制度改革を支援すべくデジタルオポチュニティ研究会を立ち上げた。
ここでパラオの通信制度改革の提言書(多分始めての通信政策書だと思う)の作成を試みた。ミクロネシア連邦でもその動きを作り、2014年に自由化法案が成立した。
ミクロネシア連邦通信自由化法案成立
http://blog.canpan.info/yashinomi/archive/910
2000年か2003年以降、世銀やアジ銀もICT支援に本腰を入れ始めた。
背景には2000年のG8サミットで日本政府が提案したIT憲章と15BillionUSDの資金援助があったと想像する。またはITUのWSISの動きに反応したものと想像する。
そして携帯電話会社デジセルのカリブ諸国や、太平洋の島々での携帯電話ビジネス成功も拍車をかけたと思う。
2000年代半ばから太平洋島嶼国の通信の規制改革と競争が一機に加速した。
そしてやっとパラオ、ヤップである。
まだ結果は出ていないが、現在検討されている案はかなりの好条件であり、パラオ国民、政府の動きを引き続き見守りたい。多くの情報提供もさせていただいている。