やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

長尾龍一著『アメリカ知識人と極東 ラティモアとその時代』

新渡戸と矢内原理解するために、その周辺にあった「太平洋問題調査会」と「昭和研究会」は重要だと思っている。が、これもまだ勘の範囲で、闇雲に読んでいるだけである。

そんな中、評論家の江崎道郎氏から長尾龍一著『アメリカ知識人と極東 ラティモアとその時代』を推薦いただいた。

ここに登場するオーウェンラティモアこそ、「太平洋問題調査会」IPRを牛耳り、新渡戸を怒らせ、米国の反日をあおり、戦争を引き起こした人物、なのだと思う。

まだ、半分しか読んでいないのだが、ここに出て来る、ハル•マツイ、こと石垣綾子の存在が焼き付いて離れない。

Wikiによれば、1903年生まれ。自由学園卒業。1926年米国へ渡航

彼女こそが、米国で反日活動をし、戦争を共産化を導いていたのだ。

米国では鉄くずを日本に送るな、軍国主義の日本を支援するなと演説し(同書26頁)、戦後日本共産党が解放された事を ー 日本政府の中核は「釈放されたばかりの解放連盟以外にはない。 (中略) 日本は手術なしには生命を保てない病人であり、そのために戦争はその犠牲にあたいするものだった」ー と語っていた。(同書104頁)という。

つまり、第二次世界大戦を引き起こし、多くの人の命を奪った人物の一人、と言って良いであろう。

ハル•マツイ、こと石垣綾子女史の存在は、私の祖母、早川栄、旧姓萩原栄に重なるのだ。

大正時代に日本始めての自由教育を手塚岸衛から受ける。祖母は学校に行くとずっとオルガンを弾いていた、という。其の後、社会の格差に疑問をもった裕福な商家のお嬢さんは、アカと呼ばれるほど、活発に活動を行ったようである。これは生前の祖母から直接聞いた話である。

ハル•マツイ、こと石垣綾子女史と違ったのは、結婚した相手が画家ではなくて、奉公人であった事であろう。政治活動どころではなくなったのかもしれない。。

私がピアノを4、5歳のころ始め、音楽学校に行ったのは、この祖母の影響である。