やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

重光葵のアイランドホッピング(2)

1921年に行われた重光葵の南洋視察は極秘文書として扱われてきた。

参考:重光葵のアイランドホッピング

今年2月のパラオ出張の際、その報告書を読む機会を得たが、極秘としたい理由がわかるようなショッキングな内容で、どのようにまとめてよいか悩んでいた。

『第一次世界大戦と日本海軍』を執筆された平間洋一教授にご意見をお伺いしたところ、重光のこの報告書は同書を執筆される際参照されており、外務省の重光の報告は軍事的な視点から甘いという印象をもたれたようである。

 

早速『第一次世界大戦と日本海軍』を再び手に取らせていただいた。

第三章に「太平洋における軍事行動と日米関係」があり、その第三節が「南洋群島の領有と日米関係」である。

第三節「南洋群島の領有と日米関係」に重光葵の報告書が引用してある。

 

「(日本)海軍はグアムをアメリカ海軍が軍政下においていたこともあり軍政を希望していた。しかし、「南洋ノ軍事統治ハ速ニ撤廃シ新ナル統治法ヲ講スルニ非レハ委任統治条約ノ成立セル今日、諸種ノ対外的悪影響ヲ及サンコトヲ虞ル」と外務省に反対され、国内の新聞もアメリカやオーストラリアの新聞の非難を受け(中略)海軍の軍政に反対した。」(平間、1998『第一次世界大戦と日本海軍』141頁)

 

「日本側も「南洋ハ長ク海軍側ノ手中ニ在り、万事軍事ヲ先ニスルノ方針ニ依リ進ミキタルヲ以テ、施設上幾多ノ点ニ関シ外国人観察者ニハ誤解ヲ生シ」させた点があったかもしれない。」(平間、1998『第一次世界大戦と日本海軍』145頁)

 

第三章「太平洋における軍事行動と日米関係」では、メキシコを巡る日米関係とその関係を悪化意させようと暗躍するドイツの動きが述べられており、日本に対する米国の猜疑心は南洋だけでなく、広く複雑の背景を持っている事が理解できる。

平間先生は、この重光葵の南洋報告書をあまり評価されていないようである。即ち海軍の希望に反対した外務省の立場を支持する内容であるから、と当方は理解している。

しかし、果たしてそうであろうか?重光はこの報告書の中で南洋の小さな島々の意味は、政治的なものと軍事的なものしかない、と書いていたと記憶する。(結果的にこの重光の観察は間違っていた。南洋に移民した主に沖縄の人々によって今に続く太平洋の遠洋漁業が開発されたのである。)

また、南洋の島に軍事施設を持たなくとも、日本海軍も南洋庁海域で軍事訓練を行っていたようだ。

 

参考:高松宮のパラオ訪問

 それから重光の報告書には、日本海軍による現地人への暴力が報告されているのである。

これは冷静な気持ちで再読してからこのブログに書きたい。

もう一点加えるおくと、重光葵もまた新渡戸稲造の生徒であり、新渡戸の「植民論」と台湾植民活動を充分理解していたはずなのだ。