福田恆存? 全く存じ上げなかった。
wikiには「評論家、翻訳家、劇作家、演出家」とある。
それだけではなさそうで、戦争中の植民地での言語政策や戦後の日本の言語政策に関わっているようなのだ。
新渡戸、矢内原に関連しているとすれば、新渡戸が亡くなった1933年に東大に入学し、矢内原が東大を追放された1937年に東大大学院に入学している。
即ち、新渡戸が日本を滅ぼす要因、と指摘した「軍閥」と「共産主義」の台頭のまっただ中にいた人物なのだ。そして戦後は転向せずに、戦後の(転向した?)知識人を批判的に見て来た人、のようでもある。
最初に手にしたのは『福田恆存評論集 別巻』にある「象徴天皇の宿命」(麗沢大学、2007年)。
その文章の中に以前書いた「象徴を論ず」と「當用憲法論」をまとめた、とあったのでこれも読んだ。
「象徴を論ず」は『福田恆存評論集 第五巻』(文芸春秋、昭和62年)にあり、「當用憲法論」は『福田恆存評論集 第八巻』(麗沢大学、2007年)にある。
借りた三冊の本は図書館の倉庫にあった。
係の人が取りに行っている間、雑誌「中央公論」に山崎正和氏が「象徴天皇論」を取り上げていたので斜め読みしたのだが、目が点になった。山崎正和氏も評論家で劇作家らしいが、福田恆存との違いは何なのであろか?
天皇を象徴とする事に今の世間、特に知識層が悲喜劇的、かつ絶望的に「鈍感」であるように思えてしょうがないのだ。
2、3回に分けてメモだけしておきたい。
残念ながら福田は新渡戸の天皇象徴論には一切触れていない。福田が知っていればもっと辛辣に「天皇象徴論」を批判したであろう。できれば、生き返らせて知らせたい。