福田恆存の文章は秋の夜長の頭も空気も澄み渡った時に読むべきだ。
猛暑で、しかも太平洋横断後の茹だりきったヘナヘナな状態で読むべきではない!
とは言うものの、福田恆存に出会えた事は、新渡戸の「象徴天皇論」の議論を知る、世界で多分唯一人の当方にとって千人力の味方を得たような喜びである。ちなみに、新渡戸の象徴議論を知るのは当方一人、というのは、誤解であって欲しい、と心の底から願っている。
「象徴天皇の宿命」(『福田恆存評論集 別巻』麗沢大学、2007年)に、この「當用憲法論」(「潮」昭和40年8月号、『福田恆存評論集 第八巻』麗沢大学、2007年に収録)を下敷きに書いたとあったので、これも読んだ。
福田は強硬な改憲論者である。
憲法記念日のテレビの対談で、憲法学者小林直樹、小説家大江健三郎、国際政治学者高坂正尭、憲法学者佐藤功との座談会に参加した福田の発言が視聴者に誤解を与えたらしく、非難の投書があった事に対する弁解と改めての福田の改憲論である。
「氏は若いがなかなか功味のある表現をするものだと私は関心しました。」(187頁)と福田が褒めるのは高坂正尭である。自衛隊の話である。
高坂は現行憲法がごまかしの「神話」である事は国民の大部分が心得ていると言う。これに対し福田は「偽善と自己欺瞞、日和見主義と敗北主義との、利己心と無責任との、一口でいえば人格喪失という道徳的退廃の温床」と切り捨てる。
そして、今バイデン副大統領が口を滑らせて話題になっている、憲法押しつけ論議が展開される。福田は現行憲法が占領軍によって押し付けられたのは前文と九条が対外的謝罪になっていることからも解るが、それを日本側が拒否できなかった理由をあげている。それは、「戦争中、軍部によって苦しめられた文官達の復讐心の表明であると言う事」。すなわち平和憲法は同胞間の怨念憎悪の落し子である、という。
「軍部によって苦しめられた文官達」とは誰なのであろうか?
福田は現行憲法の問題点を詳細に議論して行くのだが、最後にもうこんなの文章ではない、悪文ですらない、死文である、と切り捨てる。現行憲法は明らかに英文からの和訳であり、訳をする時は原文に対する愛情があるが、現行憲法にはそれがない。
「こんなものを信じたり、有り難がったりする人は、右左を問わず信ずる気になれません。」(196頁)とまで言う。
で、とっとと無効、廃棄し、「欽定憲法改正案「を作成し国民の意見を聴き最終決定せよ、と主張する。