やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

『国家神道とは何だったのか』 葦津珍彦著

 

日文研が主催した反日、反安倍集会、とでも呼びたいあの経験がなければ、オークランド大学のマーク・マリン教授の発表、政治的プロパガンダ発言を聞かなければ「国家神道」について読む機会はなかったであろう。

人生何が幸いするかわからない。

 

早速調べて探し当てたのが 葦津珍彦著『国家神道とは何だったのか』

何人かのFBF の方からも推薦いただいた。

今回はKindleで2回読んだ。

 

明治維新以降の神道の辿った道の険しさを、複雑さを始めて知った。

マリン教授や、私もちょっと気になっているネトウヨが支持していそうな「神道」。戦前のファナティックでショービニスティックな神道は、民衆が生んだのである。簡単に言ってしまうと。

 

今でも神道とは何かを知らない民衆が再度ファナティックでショービニスティックを求める可能性は否定できないのではないか?それがマリン教授が関心を持ったきっかけであったオウムにも関係してくるのではないか? アッキーの神道は、高麗神社も訪ねているし、それとは違うのではないか?等等、色々考えてしまった。

 

著者、葦津珍彦氏が「神道とは・・・ 数千年の日本民族大衆の精神生活の中で、自然成長的に育成されて来た民族固有の精神の総称である。」と書いているのだが、これは新渡戸の神道論、そのままである。

私は葦津氏は新渡戸の『日本-その問題と発展の諸局面』を読んでいると思う。

 

Kindleだと引用しながらブログを書けないので、本を入手したら色々書いてみたい。