やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

『妄想とその犠牲』竹山道雄著作集1福武書店昭和58年

f:id:yashinominews:20210818130740j:plain Otto Ohlendorf

 

竹山道雄の『昭和の精神史』は近現代史を学ぶ上で何度でも読み返したい論文であった。

竹山は『ビルマの竪琴』の著者でドイツ文学者。著作集後書きには『昭和の精神史』とこれに続くナチスを扱った『妄想とその犠牲』の2作は歴史的学術論文であると書かれている。

実際にその時代に生きた竹山の記述は第一次資料の(レーリング判事を通した東京裁判への影響など)価値もあるのではないだろうか?

 

 

同志社大学の入試を控え、読みたい論文や本が山ほど目の前にあるので、この著作集一度図書館に返却する予定であったが、先週から友人を訪ねているロサンジェルスに持って来て昨晩読了した。

読みたかったのはもうひとつの歴史的学術論文『妄想とその犠牲』である。

なぜ、ホロコーストが、ナチスが存在したのかが、ユダヤに対する差別の歴史的背景も分析しながら書いている。

 

ユダヤ人が嫌われた理由が書かれている。(同書182頁)

「・・・いたるところの都会は「ユダヤ化」した。けばけばしい風俗営業店はそれが多かった。ずっと後になっても。ベルリンの百貨店は全てユダヤ人の経営だった。そして、事実ベルリンは道徳的泥沼となっていた。」

その当時のベルリンを見た竹山の記述だ。

続いて昭和22、23年ころの日本の様子が記述されている。

 

「・・・「ドイツにあったのもこういうことだったのか」と、実感できた様におもった。日本でも国中の貨幣の三分の一がかが第三国人の手にあるといわれたころで、町にならぶ店はみな外国名になっていた。」(同書182頁)

第三国人とは韓国の事であろうか?それにしてもそんな時期があった事は初めて知った。

 

原爆を落された日本人として印象に残ったのがナチスのインテリオットー・オーレンドルフの証言だ。

 「いつか未来には、私が殺戮の命令を下したことと、ボタンを押して最初の原爆を落したこととのあいだに、何の区別も考えられなくなるでしょう。十戒を下したと同じ神が、イスラエル人に敵を全滅せよと命じたではありませんか。」

ホロコーストと日本がアジアにした事を同列に扱おうとする論調を見ると、それは違う、同列にすべきは原爆だ、と時々考えた事があったので、この記述は印象に残った。どこかで引用したい。

竹山は戦時中の日本軍の愚劣な行動を否定していない。軍人の知人から直接聞いた話や写真の事も紹介している。しかし、それはナチスがした事とは全く違うとも。

それにも拘らず戦後日本人が懺悔する様子と、ドイツ人が自信満々である様子を比較する。この箇所も興味深い。(同書241頁)

色々引用しておきたい箇所があるが、最後に戦後の天皇制の否定を、第一次世界大戦後にドイツ人がユダヤ人をスケープゴートにした例と比較している箇所も興味深かった。(同書256頁)

日本のインテリが「自分たちは天皇制に対して心からの憎悪と恐怖を感じる。」と言っていたのも知らなかった。竹山はもしその感情が左翼テロ時代に成功していたら日本も血腥いことになっていただろう、と書いている。

 

私は国交省審議官だった羽生次郎氏が天皇皇后両陛下をさして「ヤツラがパラオに行った後に俺たちが入る。」と言っていた事を思い出した。私には日本左翼とナチスが重なって見えるのだ。