やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

大橋玲子さんの事(2)

大橋さんが当時の総理府事業に参加したのが1980年。

その5年後1985年に日本青年国際交流機構が設立。*

そして2年後の1987年にSSEYAP International が設置された。

私が関わり始めたのが1988年。

全くの手弁当、持ち出しの団体である。

政府の請負組織ではなく、政府を引っぱっていく組織である。

2、3年で交代する官僚が青年行政を理解するよい「場所」であったと思う。全国組織で、地元でがんばる青年達の集まりなのだ。土臭い組織だった。そして土臭い青年達が、総理府の官僚達を引っ張って行くのだ。私もこの組織で日本とアセアンの全体を学んだ。

政府の事業が、ボランティアで継続し発展する。そして相互補完していく。行政の理想的形ではないだろうか?

任意団体であった日本青年国際交流機構を法人にしたのは90年代半ばだ。

法人格にすると47都道府県の横並びの組織が壊れてしまう。そこで、今までの任意団体と法人格の両輪立てで、というのは、財団事業を通してNGOの組織運営を見て来た私の提案だった。任意団体として自由に動けるスペースがIYEOには必要だったし、そこがIYEOらしさだったのだ。

この3つの組織を、実質的に作ったのが大橋玲子さんである。

大橋さんは人を担いで、トップを担いで、組織作りをする。自分が前に立たない。だから人によっては利用されているように思い、不満をもつ人がいる。私もその一人だったかもしれない。

実際に自分で組織作りをすると、自分が前に出ては全体が進まない事がわかる。

表に出ない彼女の実力は知る人ぞ知る存在になってしまうのだ。

FBで大橋さんに関するコメントを見ていると、彼女がした事が必ずしも多くの人に理解されていない事がわかる。

彼女の功績は語り継がれるべきではないだろうか?

多くの人がそれぞれの思いをもっているはずだ。

http://www.iyeo.or.jp/ja/profile/enkaku.html から

沿革

日本青年国際交流機構(International Youth Exchange Organization of Japan 略称 IYEO)は、昭和34年度から始まった内閣府総務庁総理府】が行ってきた青年国際交流事業(※1)の既参加青年で組織されており、会員数は1万5千6百人に達しています。

沿革をたどると、昭和36年、「青年海外派遣」事業の既参加青年組織として「日本青年海外派遣青友会」が結成され、次いで昭和43年「青年の船」の既参加青年組織として「青年の船の会」が組織され、昭和60年には活動組織としての確立を目指して両者が統合し「日本青年国際交流機構」が発足しました。

※1「青年海外派遣」「青年の船」「東南アジア青年の船」「日伯青年親善交流」「日本・中国青年親善交流」「オマーン親善交流」「国際青年年記念青年海外特派員派遣」「日本・韓国青年親善交流」「世界青年の船」「国際青年育成交流」「青年社会活動コアリーダー育成プログラム」「グローバルリーダー育成事業」