やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

ウォルター・リップマンと自決権(『現代史の目撃者』から自分用メモ)

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 『現代史の目撃者』は読み流すつもりが傍線を引きたくなる箇所がたくさん出てきた。

著者Ronald Steel氏は南カリフォルニア大学の名誉教授。1931年生まれだから今年87歳だ。

彼が書いたリップマンの伝記によってリップマンの存在が歴史に残った、と検索中に見つけた資料のどこかに書いてあった。

https://dornsife.usc.edu/cf/faculty-and-staff/faculty.cfm?pid=1003734

 

『現代史の目撃者』はリップマン自身とその家族、友人から資料を提供されて書いているので多少リップマンを賛美するように書かれている印象を持ったが、それでも批判すべきところは多少モデレートだが、批判しているのは著者が学者であるからか。信用できる文献だと思う。

 

<『現代史の目撃者』上巻>

112頁 1914年リップマンは保守化したことを自ら認識した。

 

116−118頁 イサドラ・ダンカンへの失望。「一つの夢でも実現しようと努力する人よりは10の夢を描こうとする人たち、カフェで甲論乙駁することが芸術運動だと思い、委員会を開くことを社会革命と勘違いする人たち、すなわちディレッタント的反逆者」が怠惰な無思想の一形態である、と。

 

125頁 祖父はプロシアの専制主義から逃れてアメリカに来た。リップマンは自由主義者の祖父からプロシアに対する嫌悪感を洗脳されていた。思想的にはドイツよりイギリスであった。

 

128−129頁 リップマンの国際政治への目覚め。ナショナリズム、民族主義、反帝国主義と代替案としての国際組織による途上国支援。アメリカの投資の必要性。孤立主義の回避。

 

135頁 ウィルソンが1916年に講和を求める連盟(国際連盟の先駆的存在)に加盟を表明。リップマンは絶賛。

 

136頁 リップマンのウィルソン評「ウィルソンはまるで話になりません。組織感覚は皆無で社会化された国家の責任についても関心を抱いていません。国際問題には暗く、その平和主義は世界の平和に何の役にも立ちません。」しかし支持して来たセオドア・ルーズベルを見限ってウィルソン支持に。

 

153頁 リップマンの海洋覇権論。アメリカが参戦するのは海洋航行の主導権を握るべきとの主張に基づいている。公海の統一的秩序を支持する。あたかも南北戦争の統一のように、英国の君臨が完全ではなく、公海の秩序が重要。

 

156頁 戦争と民主主義を結びつけるリップマン。連合国の大義は自由主義と恒久的平和の追求。ウィルソンとハウス大佐の右腕に。

 

170頁 戦争反対者やドイツ人、ドイツ文化が弾圧された。サワークラフトは「自由キャベツ」と改名。さすがにリップマンも怒りウィルソンを動かした。

 

172−174頁 1917年8月1日、ベネディクト15世は「勝利なき平和」の和平提案(軍縮、仲裁、公海の自由、無賠償、占領地からの撤退、調停裁判、領土不拡散)をし、ドイツは前向きだったが英仏は米国の顔を伺った。リップマンは、ドイツの民主化のために軍部とプロシア的専制打破が必須、という戦争理由をウィルソンに与えた。そしてウィルソンは法王に和平協定拒否の手紙を出した。そしてウィルソン独自の和平協定の作成がリップマンによって開始された。

 

176頁 当初五人で開始した秘密の調査グループは1年後には126人に。ハウス大佐からリップマンへの指示は「単に事実の調査にとどまらず、特に中立国との秘密裡の交渉を行い、講和会議にアメリカが一大勢力を糾合した指導的国家として臨むことができるようにすること。」

 

182ー183頁 リップマンはヨーロッパに新たな抗争を招くことなく各民族集団にどのように自決権を与えられるか検討。1918年1月8日ウィルソンは14か条を演説し、新外交基礎とした。リップマンは自分が14か条の生みの親であり、自分のアイデアを大統領に喋らせた事を自慢していた。

 

184頁 14か条の内最初の5条と最後の条項はウィルソンが書き加えたもの。ウィルソンは反革命の白軍を支援し、ボルシェビキ政権転覆を狙う英仏の政策を拒否。

 

185頁 ウィーンの帝国解体は、リップマンは反対していたが、ウィルソンは米国内の民族主義者やイギリスの圧力で後退し帝国解体に同意してしまう。

 

186頁 14か条に諸国民は熱狂したが、連合国政府は沈黙を守り、米国の一方的な宣言となってしまった。ウィルソンは事前の調整を連合国と行っていなかったのである。リップマンは激怒した。

 

187頁 リップマンはロシア革命を支持し、連合国の組織する反ボルシェビキに反対するようウィルソンに進言。ウィルソンも同意。

 

187頁 その背景にはリップマンの師であったリンカン・ステフェンズの影響がある。ステフェンズはロシア革命を目撃し、魅了され、自分にはロシア革命指導者たちと特別な結びつきがあると自覚するようになった。英仏のボルシェビキ転覆を阻止するようリップマンに訴えた。

 

197頁 ハウス大佐はリップマンの判断を信頼していなかった。これは嫉妬からのコメントかもしれない。

 

203頁 ハウス大佐は14か条に基づくドイツ降伏条件を英仏伊と交渉した、イギリスは「公海の自由」をイギリス海軍の優越性と解釈する権利を保留した。(ここ興味深い)

 

216頁 領土拡大を狙うのはフランスだけではなくポーランドも同じで、200万人のドイツ人居住地ダンチヒがポーランド支配下に置かれた。これはウィルソンが約束したことと違う。(ベルサイユの全貌を知らないがここではリップマンのドイツへの恨み、もしくは無理解のようなものを感じる。)

 

223頁 リップマンのウィルソン評は残忍で裏あった、と筆者は書く。狡猾なヨーロッパ人に「言葉たくみに欺かれた盲で聾のドンキホーテ」と。ウィルソンの自己正義観と単純さゆえに英仏の「途方もない愚かな産物」である講和を押し付けられた、と。

 

224頁 しかし筆者Ronald Steelはリップマンのウィルソン叩きを責任回避と非難している。参戦にウィルソンを導いたのはリップマンである。そして英仏の反ボルシェヴィキを拒否したのもリップマンである。リップマンは欧州の地政学をどれだけ理解していたのだろう?

 

233頁 リップマンのメディア論。NYタイムズですら誤報が多く、情報は「報道機関を構成する人々の希望的憶測に支配される」と分析。さらに問題は報道機関や政府の干渉ではなく公衆がその意見を形成する仕方の中に内在する、と分析。フロイトに影響された『世論』

 

272頁 概念に正確さを与える言葉がなければ、概念そのものが曖昧になる。

 

313頁 ウィルソンに対する苛立ちからベルサイユ条約に対する無鉄砲な反論を展開した、と反省している。ウィルソンをある意味、殺したのもリップマンではないか?リップマンを知らずにウィルソンは語れないのでは?

 

316頁 子供の頃から自分に無関心だった母親をリップマンは決して許すことがなかった、とある。リップマンの初婚は失敗で、再婚した相手からは死を間近にした時に捨てられる、という女性運の悪さを感じる。

 

374頁 ジャーナリズムは事実の報道というより、事実と思われるものについての解釈であるという実態を素直に認め、あえて解釈と解説を前面に押し出したコラムを書いた。Today and Tomorrow

 

 

<『現代史の目撃者』下巻>

13頁 ルーズベルト評 ー 頭脳が明晰でなく大きな問題を把握できず自分の政治的立場を強化することだけを念頭に置いている。

 

44頁 ルーズベルト評 ー ルーズベルトという人間について深く憂慮している。好人物ではあるが大人物ではない。第1級の頭脳の持ち主ではない。調書は情熱、勇気、感受性。これらは権力の持つ腐敗作用に効果がない。

 

58−60頁 満州事変とスティムソンドクトリンの話は衝撃だった。リップマンは国際法なんか無視すると。そして新渡戸を怒らせ、日米関係を悪化させたスティムソンドクトリンはスティムソンの意向、すなわち東京都の対決を阻止させたと。それにも拘らず日本の軍部は満州を支配下に置いた。リップマンは中国の情勢をどれだけ把握していたのか?リップマンとラティモアの接点はなかったのであろうか?

 

115頁 アメリカ外交は、大国間の協力関係ソ連と西側の間にある東欧の中立化を提起。「国家安全保障」という概念はリップマンが導入。アメリカは、ラテンアメリカと太平洋に特権的利益を保有していることを棚に上げ、ソ連の要求のあつかましさに驚いた様子を見せた、とある。戦後処理の話だ。ここも自決権につながる。

 

225頁 中国問題も興味深い。リップマンは米国に蒋介石と手を切ることを勧めていた。が米国政府はチャイナロビーの圧力を受けて、また蒋介石と手を切ることが共産主義支持と欧州からみられることを恐れてどっちつかずの対応に。リップマンは失望するが、ここでアルジャー・ヒスのスパイ疑惑が出てくる。リップマンの信念が揺らぎ始める。タフト議員のコメントがある。「国務省には共産党シンパの職員のグループがあり、これがヤルタ及びポツダムにおけるソ連の要求の全てに屈服するとともに、あらゆる機会を捉えて中国における共産勢力の目的を助長してきた。」。これいつの話?

 

229頁 マッカーシーの赤狩り。リップマンの秘書が元共産党員エリザベス・ベントレイの知人で、スパイであった。

 

278頁 1956年、スターリンの悪行を暴いたフルシチョフ、自主路線を勝ち取ったポーランドをどう解釈したか、ハンガリーの民族主義者が立ち上がった。ハンガリーはその後ソ連からの離脱を求め西側の支援を求めたが、ソ連の進撃を受け反乱は鎮圧された。この動きのリップマンの分析に彼の自決権に対する認識を見ることもできる。

 

300頁 トランプ政権の国家安全保障戦略にも出てきたadversary という単語。ケネディのスピーチでenemyの代わりに使うようアドバイスしたのはリップマンだった。「冷戦」もリップマンが言い出した。

 

306頁 1959年夏リップマンはカストロの件で、アイゼンハワー政権に民族自決の原則には革命の権利が不可分に付随していると忠告。他方でキューバ革命に度量の大きさを示すことを求めた。この辺りはリップマンは自決権とは何かをよく理解している、と思う。少なくともベルサイユの時、即ち40年前よりは。。

 

326頁 ケネディ暗殺ごのジョンソン政権では、ハーバード出身の学者とアイルランドマフィアがロバート・ケネディを後継者に、ジャクリーンを皇太后に見立てて亡命政権を形成してた。

 

 

やはりリップマンの著書「世論」は読むべきか。これも上下2巻の大作だ。

リップマンは同署で”new order of samurai”という言葉を使っているそうだ。

伝記『現代史の目撃者』にはリップマンと日本の関係は全く書かれていないが、リップマンが新渡戸の武士道を読んでいる事は間違いないであろう。

 

Mastery would come only through a class of experts, a new order of samurai, who would mold the public mind and character: men and women dedicated to making democracy work for the masses whether the masses wanted it or not.

”American Communication Research: The Remembered History” p 29.