やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

読書メモ「雑誌『改造』にみられる「地政学」の記述について」その2

前回に続いて高木彰彦教授のペーパーの読書メモ。

「雑誌『改造』にみられる「地政学」の記述について」

https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/3707/KJ00004171961.pdf

6人の地政学者が紹介されているのだが、(佐藤弘、江澤譲爾、小牧賓繁、室賀信夫 、蝋山政道、吉村正)蝋山政道だけ異常に長い。2頁以上。

蝋山は満州事変以前から地政学に関心を持っていた。

改造で最初に地政学の記事を書いたのは蝋山で1938年の「東亜共同体の理論」

蝋山の東亜共同体には 

「民族の地域的運命」などのようにドイツのゲオポリティクが起源であると思われる概念の使用がみられ、」(同論文191頁)

るとある。即ち、蝋山はハウスホーファーをどこかで知っていた。ゾルゲ経由であろうか?ゾルゲが日本に入ったのが1933年なのでその可能性はある。ゾルゲはハウスホーファー地政学の弟子だった。

1933年は新渡戸が亡くなり太平洋問題研究会でラティモアが活動を開始した年でもある。

下記は以前、ブログに書いた内容だ

白井久也編著「国際スパイ・ゾルゲの世界戦争と革命」(社会評論社 2003)に「地政学者としてのリヒアルト・ゾルゲ」がモルジャコフ、ワシーリー、エリナルボビチによって書かれている。ゾルゲは優秀な地政学者だったのだ。モルジャコフ、ワシーリー、エリナルボビチ氏は以下の点を指摘している。

ゾルゲが日本訪問した時の推薦人はハウスホーファーであった。

ゾルゲの地政学の師匠はハウスホーファーで、ハウスホーファー地政学の雑誌11冊に8本の大きな論文をゾルゲは書いている。ハウスホーファー地政学者としてのゾルゲを高く評価していた。

ゾルゲはハウスホーファーのユーラシア主義を進めようとしていた。ユーラシア主義はハウスホーファーが作り、リッペントロップが推進し、ヒトラーが裏切り完全に葬り去られた。

ゾルゲは日ソ戦と独ソ戦を防ごうとした。