玄洋社は社会が大きく変わる不安定な時期の血気盛んな青年達を束ねる、今で言うNGOのようなものであったのかもしれない。
勤皇と人民主権は矛盾しないのだ。そしてこれから出てくるかもしれないが自由民権運動の板垣とは違う活動であった、と言う。御託を並べる前に行動で示す。ますますわからない玄洋社だ。
筆者は貧乏旅行で日本を行脚する頭山と、高山彦九郎の日本行脚を重ねる。そして楠木正成ー高山彦九郎ー吉田松陰ー西郷隆盛ー頭山満 に流れる楠木精神があることを指摘する。
高山彦九郎、京都で光格天皇に会っているのだ。光格天皇の時代はヨーロッパでがフランス革命が起こり、共産主義の幽霊が動き出した頃だ。日本では逆に勤皇精神が動き出し、明治維新に備えていた、のかもしれない。
ますますわからなくなる「玄洋社」。このまま読み進めます。次は第3章「一人でも淋しくない」 玄洋社の頭山。徒党を組むのを嫌っていたらしい。ここが共産主義と違う。