やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

『日本占領と「敗戦革命」の危機』江崎道朗著ー第4章近衛、第5章重光

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江崎先生の新刊。『日本占領と「敗戦革命」の危機』
第四章 近衛上奏文と徹底抗戦の謎
第五章 停戦交渉から逃げ回ったエリートと重光葵の奮戦
近衛と重光、両名は新渡戸の生徒である。新渡戸の国家観、外交観、天皇共産主義軍国主義の姿勢を観てきているはずだ。
しかし、この違いは何なのだろう?
終戦に向かって木戸幸一内大臣までがソ連に協力を求めたらどうか、と言っているのだ。共産主義の怖さの情報を当時のエリート達は無視していた。
江崎氏は「敵を小ばかにし、敵を侮るものは結局、敵に騙される」と書く。
近衛は気づいたがもう手遅れ。救いは昭和天皇のすぐれたインテリジェンス能力である、と著者は指摘する。これもネタバレになるから書かないが、立場も意見も違う当時の指導者達をうまくまとめようとしていく昭和天皇の姿が書かれている。
重光が終戦に向けて、笹川良一氏と頻繁に会っていたことを伊藤隆先生の本で読んだ。新渡戸のもう一人の弟子、重光は何をしたのか?連合軍に間接統治を認めさせたのである。そして天皇制と保守自由主義が共存する事を昭和天皇と確認し、天皇の権威を利用した全体主義的エリートを否定した。
重光葵の『昭和の動乱』という本があるのは知らなかった。そこに戦後になって掌を返すような醜い人々の姿が批判されている。
「日本を滅ぼすものは共産党軍閥」と言った新渡戸稲造共産党全体主義的エリート、両方から命を狙われる。その直後、(多分、昭和天皇の希望で)日米関係改善に最後の命を使った。1933年のことだ。