やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

『ドイツ植民地研究』栗原久定著 (読書メモ)

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『ドイツ植民地研究』栗原久定著

日本が太平洋に関心を持った背景の一つに第一次世界大戦で、ドイツ領であった太平洋の赤道以北の領土を獲得したことがある。また日本とドイツは明治以降法学、医学、国家学などあらゆる分野で影響を受けただけでなく、長年にわたるオランダやイギリスとの交易の中に、後にドイツ国家に組み込まれる地域の人材が参加しており、日本を最初にヨーロッパに紹介したのも後のドイツ人である。

このような背景もあり、ドイツの植民政策には関心を持っていたが何をどのように調べて良いかわからなかった中で栗原久定著『ドイツ植民地研究』が今年2018年6月に出版されたことを知った。栗原久定氏の博論かと思いきやそうではないそうだ。おかげで博論にある難しい理論の議論よりも事実関係が淡々と書かれていたので読みやすい。また写真も豊富で、イメージを掴むのに便利である。

もしかしたら現在作業している2つ目の博論で引用する可能性もあるのでメモを残したい。同書は第1章でドイツ植民地外観をまとめ、続く6章に西南アフリカトーゴカメルーン、東アフリカ、太平洋、膠州湾のケースを紹介している。

 

西南アフリカを扱う第2章ではナチスのジェノサドにつながる先住民への対応が書かれている。ドイツの植民は高岡熊雄の南洋統治の本しか読んだことがなかったのでショックであった。高岡が描くドイツの、ビスマルクの植民統治はワクワクして読んでしまうような内容なのだ。高岡は新渡戸の弟子で日本の植民政策主導者であった。

興味深かったのがこの章の最後にあるコラムだ。ドイツの社会主義が植民政策に影響を与えた、という。そこに「文明化の使命」とありこの表現は国際連盟に出てくる。敗戦国のドイツが起源なのだろうか? (101頁)ドイツ社会党はドイツの海外膨張という政策を批判したことで方向を転換する。植民地のプロレタリアートを保護することになる社会主義ドイツ国民の関心を集めたのだ。植民を批判するのではなく、その方法が議論されるようになり、この動きが第一次世界大戦後、ヴァイマール政府とドイツ植民地協会による植民地返還運動に繋がっていく。さらにこの植民地返還運動は大陸経済形成とも連携し、ナチスの東方生存圏構想にも繋がる。(101−105頁)

多分、このドイツの植民地返還運動が理解できないと日本が国際連盟脱退後、南洋に軍事進出した意味がわからないのではないだろうか?

第3章のトーゴでは、ツエヒの現地住民を正しく指導する、という文明化の使命と、既存の社会秩序を守る植民が行われたことが紹介さている。そのツエヒは植民の方法をイギリスから学んだ。ツエヒの植民政策の一つがアフリカの慣習法を成文化したことである。(136頁) この「模範植民地」はヴァイマル共和国、ナチスドイツ、西ドイツ時代を通じて変わることはなく(150頁)大戦間における植民地返還運動の根拠ともなった(146頁)。筆者はこの「模範植民地」神話は再検討されるべきだ、と書いている。