やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

新渡戸の植民政策と日本の植民地研究

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新渡戸の植民政策論を弟子の矢内原が1942年9月に発行した事を(書籍の発行は1943年のようである)、年末に敢行した英国訪問直前に知ってこのブログに「東京帝国大学植民政策講義」の項目を立た。新渡戸の植民政策を少しづつ紹介して行きたい。

yashinominews.hatenablog.com

もしかしたら既に誰かがまとめているかもしれないと思い、以前から気になっていた「日本植民地研究会」の雑誌をバラバラと捲ったが新渡戸研究の項目は見当たらなかった。偶然見つけたのがこの研究会の創立者でもある浅田喬二氏の「大著」『日本植民地研究史論』の田中慎一氏の書評である。

(195〜206頁、「日本植民地研究」第4号 1991年 日本植民地研究会)

 

浅田喬二氏の新渡戸論は以前目にした事がある。最初の2頁で失礼した。田中慎一氏の新渡戸論はそれに比べまとも。これはブログにもメモしてある。

yashinominews.hatenablog.com

 

一体、超まともな田中慎一氏が浅田氏の新渡戸論をどう評価しているのか?

最初は丁寧であるが最後は、けちょんけちょんだ。「間違いだらけで嘘だらけで、自分だけが正しいなんて頭おかしいんじゃない?」と行間から読み取れる。

最後に、矢内原が1942年に新渡戸の植民政策講義をまとめた意味が書かれていた。「日本のマルクス主義者がほぼ完全沈黙していた1943年に」出版した意味を、これも新渡戸が指摘した「精神的植民」と関連づけて浅田氏の著作言論を指摘・批判している。

換言すれば、浅田氏の姿勢は、戦争中に完全沈黙していた日本のマルクス主義者と同じではないか、という意味だと思うが違うだろうか?

戦争中完全沈黙していた日本のマルクス主義者と軍部は同じ方向を向いていたのだ。これは伊藤隆氏がどこかで書いていた。

矢内原と同じ新渡戸の弟子で「マルクス主義者と軍部」とは違う大東亜構想を外務省の中に「戦争目的研究会」設置して策定していたのが重光葵だ。重光は矢内原が編纂した新渡戸の植民政策を読みながら「大東亜共同宣言」を策定したのではないだろうか?


渡辺昭夫先生が推薦されていた波多野澄雄氏の興味深い論文「重光葵と大東亜共同宣言」があったので次はこれをまとめたい。