やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

重光葵と大東亜共同宣言ー戦時外交と戦後構想ー 波多野澄雄

安倍政権のインド太平洋構想。

これで思い出すのは「大東亜共栄圏」構想だ。そして「アジア主義」

どこか違ってどこか同じか?「大東亜共栄圏」も「アジア主義」自体を知らない。手探りで後藤新平、玄洋社、辺りを読んでみたがわからない。ここにドイツの地政学者ハウス・ホーファーも出てくる。

行き詰まったところで、昨年パプアニューギニアで開催されたAPEC総会を機に、視点を大平総理の環太平洋構想に移した。渡辺昭夫先生の本を手にとった。

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ここに渡辺先生が波多野澄雄氏の「アジア主義」議論が質が高いとあって早速読んだのが、

「戦時日本の 「地域主義」 と 「国際主義」」1996-11-30
 

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そして今回は国際政治 (日本国際政治学会)、1995 巻 (1995) 109 号にある「重光葵と大東亜共同宣言ー戦時外交と戦後構想ー」を手に取った。これも非常に勉強になった。

 波多野論文では重光が必死で、この日本の地域主義の方向を修正しようとしている姿が書かれている。

 
だんだん流れが全体像が見えてきた感じだ。繰り返すが手探りでの研究なので勘違いしている可能性が大きい。

アジア主義(後藤・玄洋社辺り) ー> 

大東亜共栄圏(重光・蠟山辺り。戦前・戦中「東亜の解放」概念の攻防) ー> 

環太平洋構想(大平、ここで一気に海洋空間に重点が移動) ー> 

そして「自由で開かれた」インド太平洋構想(安倍)

 

日本のアジア地域構想が「自由で開かれた」という概念から外れたのはドイツの影響を受けた蠟山周辺だけであると思う。あとは一貫して「自由で開かれた」哲学は続いていたのだ。それを理論化したのが新渡戸の植民政策であるはずだ。