やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

林健太郎著『ワイマル共和国 ヒトラーを出現させたもの』(中公新書、昭和50年)追記あり

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12月に敢行した欧州訪問をブログにまとめたいと思いつつその前に偶然訪ねたワイマルのことを少しは勉強してみたい、と思い林健太郎著「ワイマル共和国」を読もうと手に取った。難しい。でも面白い。

まだ3章までだが、ワイマル共和国の中にマルクス主義、共産主義と、ナチスにつながる暴力装置ー労兵協議会が混在していた、ということか。そしてその暴力装置の必要性をレーニンは認めていたのに対し「幻想に生きて幻想に死んだ」ルクセンブルグは否定していた。ルクセンブルグを惨殺したのはこの暴力装置。極左翼の暴動。戦争で飢え、傷つき、心が荒んだ人たちの暴動。 

江崎さんの話だと、日本の敗戦はこれを昭和天皇が救った。。 違うかしら。
「ワイマル共和国」を読むと敗戦革命とはなんなのか?即ち暴力による新しい体制、であることがわかる。少しづつ読み進めよう。
林健太郎さんは元東大総長。昭和50年版のこの本は23版を重ねている。初版は昭和38年。
 
<追記>
読み終えました。
一番印象に残ったのはナチスとコミンテルンが色々な場面で一致していた、というところです。
98頁 フランス軍の軍法会議にかけられ銃殺されたナチス党員シュラーゲターをロシア共産党のラディックが「共産主義者はこの反革命のよき兵士を革命の兵士として尊敬しなければならぬ」と賞賛。
171頁 スターリンの片腕としてドイツに派遣されていたコミンテルンのマヌイルスキーは1932年1月に、ナチスは社会民主党の組織を破壊するが故にプロレタリア独裁の先駆であるといった。それに対しドイツ共産党のレンメルはナチスの政権掌握は必須であり、その時共産党は静観すると述べた。
190頁 ベルリンには褐色の制服を来たナチス党員が赤旗を持った共産党員と肩を並べてピケを張るという異様な風景が見られた。
 
この本に出て来る多くの登場人物の名前や地名がごっちゃになって全く理解できていないし、共産党やナチス、そもそもドイツの歴史も知らず、殆ど字面を追っただけ。ナチスを「近代社会の基本原理をも社会の伝統秩序をもまったく無視する暴力支配を確立したのである。」(206頁)という著者の分析は共産党に当てはまるのではないだろうか?
それにしてもドイツは第一次、第二次世界大戦と2つもの敗戦革命の洗礼を受けたのだ。最後は国を二分され、ズタズタになって戻った旧東ドイツを私は訪ねたのだ。あの重苦しさは2つの敗戦革命の傷だったのかもしれない。
終戦を迎え昭和天皇が自殺されたり、逃げられたりせず日本国民を守った意味がこの本を読むとよくわかる。