やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

ニューカレドニア便り(4) 南太平洋のペンタゴンで語る東亜の解放と自決権

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学会会場となったニューカレドニア大学


 太平洋政治学学会がニューカレドニアで2019年6月25−27日開催された。テーマは自決権で現在私が取り組んでいる論文の主要テーマだ。具体的には太平洋の海洋ガバナンスを自決権の理論枠組で分析する内容でその限界を指摘。ダメ元で発表の申請を出したところ通ってしまった。

 太平洋で一番古い地域機関、太平洋共同体事務局があるニューカレドニアは太平洋青年協議会を設立するために、90年代に何度も訪ねた。今フランスからの独立に向けた住民投票を巡る動きが活発である。現地の様子も知りたく思い切って参加することとした。

 会議は、独立問題を抱えるニューカレドニアのカナク、西パプア、ソロモン諸島などメラネシアの人々も多く参加。学術発表と政治的活動の発表と内容は様々だ。発表の中で自決権、植民、そして関連する国連決議1514号が何度も出てきたが誰もこれらの定義を客観的に論じていない。私は自決権の歴史的議論を追ってそのextremely ambiguous concept (とてつもなくあやふやな概念、国際法学者アントニオ・カッセーゼ博士の表現) であることを説明した。

 自決権の概念の歴史はフランス革命から始まると言われている。ルソーの「人間は生まれながらにして自由である」と言う『社会契約論』がその一つだ。ルソーは『エセー』を書いたモンテーニュを参考にしたのである。そしてその背景にはルネッサンスの動きがある。「自決権」というイデオロギーはヨーロッパの社会的動き密接に関係がある。

 最近の動きでは1960年の国連総会で決議された1514号の植民地独立付与宣言が挙げられる。この背景が非常に面白い。この宣言につながる提案をしたのはソ連のフルシチョフなのである。米ソの緊張が高まる中、米国の核兵器開発への牽制があった。当然、ソ連側も小国、小民族に対する圧政があったので、この提案は引き下げられるが、ほとんど同じ内容がアジア・アフリカ諸国によって草稿された。これが1514号となる。ここら辺の詳細はAlessandro Iandolo博士の論文に詳しい。Iandolo博士はフルシチョフの試みは失敗したが、これを機会にバンドン会議などのアジア・アフリカの主張が国連で認められることになった、と議論している。国連決議1514号こそが自決権が国際法となった時であると議論するのは、松井芳朗教授である。日本の自決権研究、第一人者だ。

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 さて、フルシチョフの提案がなければ1514号は存在しなかったかもしれないが、それを否定されて代案が出せた背景にはバンドン会議など戦後のアジアの独立を議論してきたアジア諸国の存在がある。そしてそのアジアの解放を戦争目的としたのが日本である。この部分を発表に入れるかどうか躊躇した。学会を主催するオーストラリア国立大学は左翼的イデオロギーが強い。日本人は私一人だけだ。日本国内でさえ、先の大戦が日本の侵略であり、解放であることを主張する声は決して大きくない。

 しかし、この2年、インド太平洋構想の歴史的背景を調べる中で、アジア主義の議論からはじめ、戦争目的がどのように議論されていたのかを波多野澄雄教授の論文を読んで重光の関与を知り、さらに開戦直後に矢内原忠雄が発行した新渡戸稲造の植民地政策の本の意味を知ると触れないわけにはいかない、と思うようになった。

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 戦争が侵略か解放かを議論した国会議事録を確認することもできた。昭和31年の第024回国会 予算委員会 第10号である。社会党の国会議員と重光の戦争目的をめぐるやり取りだ。下記に重光の主張を引用する。

国務大臣(重光葵君) お話の要点は、アジア方面における民族主義を尊重しろ、こういうことに尽きておると私は思います。
 一体、民族主義がどういうわけで起ってきたか。御承知の通りに第一次世界戦争においてはヨーロッパの民族主義が確立しましてヨーロッパの各国が興ってきた。第二次世界戦争においてはアジア、ひいてはアフリカ方面の民族主義が確立すべき時期であると、こう歴史家は見ておる。これは見落ししてならぬことはむろんのことであります。しかもそのアジアの民族主義の確立については、私は日本の戦争を何ら批判し、もしくは弁護するということは少しもいたすものではございませんけれども、しかしながら、第二次世界戦争――太平洋戦争というものが大きなここに関係を持っておるということは否定することができません。この意味においては、私は日本はアジアの民族主義に貢献したという意味において、日本人としてもややその点においては満足感を持つものでございます。

  自決権につながる日本の戦争目的。これを読んでやはり発表に盛り込むこととした。新渡戸、矢内原、重光に背中を押されているような錯覚さえ感じた。

 

 発表は以下のように話した。

「この1514号につながるバンドン会議はみなさんご存知かと思いますが、これを導いたのが日本です。日本の戦争目的はご存知ですか?英米を叩きアジアの解放を目指すことでした。」

 ブーイングでも起きるかとヒヤヒヤだったが、何の反応もなかった。呆れられたのかもしれない。もし突っ込まれたら、戦争中に独立精神をパプアニューギニアの国父ソマレ閣下に教えたのは日本軍の柴田幸雄中尉です。ソマレ閣下の自伝に詳細があり私はメラネシアの指導者から学びました、と返そうと準備までしていた。

  学会が開催されたニューカレドニアのヌーメアは、戦争中米軍キャンプが設置された場所だ。日本軍はここまで来ていない。日本軍と戦った米軍基地、南太平洋のペンタゴンと呼ばれたこの地で日本の戦争目的「東亜の解放」を自決権の議論に盛り込めたことは感慨深い。さらに感慨深いことが日本で発表された。インド太平洋を巡る安倍総理マクロン大統領の日仏協力宣言だ。これは何年も前から私が主張して来たことである。

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 ヌーメアのアンスバタビーチで見つけた解説書。南太平洋のペンタゴン

 

<参考記事>

産経論説副委員長榊原智氏がバンドン会議の詳細を書いていらっしゃいます。この記事にも勇気付けられました。

ironna.jp