やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

ベルツの日記 読書メモ(3)第4編教職を退くまで

f:id:yashinominews:20200209125912j:plain ベルツの家族


ベルツは日本人のハナさんと結婚して日本を第二の故郷とし、日本政府との当初2年の契約が26年になったのである。

26歳で日本に渡り、53歳で帝国大学を退職するが、その後3年宮内省侍医として勤め、1905年、56歳でドイツに帰るのだ。

読めば読む程、ベルツが伊藤博文はじめ当時の重要人物から慕われ、頼りにされていた事がわかる。日記にはかなり素直な思いが綴られている。異国で一人色々思い悩む事を書いたのではないか?編集者のご子息トク氏は公開するに当り、かなり削除、編集したのではないだろうか?

第4編の「教職を退くまで」には、ベルツの日本社会、特に務めた東京帝国大学に対する不満が至る所に見える。日本人は外国人専門家を招きながら大事にしなかったのだ。

ベルツが退職した1902年。日英同盟が締結され、その時の様子が日記に書かれている。清・韓両国の保全と相互武力援助を義務とする内容だが、日本は精神的支えは得ても、実利を博するのは英国である、と書いている。そして親しかった伊藤博文は親露派であったからこの同盟に賛成はなかったであろう、と。

そしてウィルヘルム二世に対する批判が至ところに書かれている。ウィルヘルム二世は「我等の将来は海洋にあり」と主張していたのだ。ベルツは海洋覇権を握る国を悉く敵にまわす、愚かな政策である、と批判。

日英同盟は重要なのだ。でもその背景を私は一切知らない。

まずい!チャタムハウスがやって来るのに!

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