やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

矢内原忠雄の帝国主義研究(3)全集2巻

矢内原全集第2巻は「あの」『帝国主義下の台湾』が入っています。

この論文を読むのは3回目。

最初は兎に角読んでみよう、と。

2回名は若林編集の『帝国主義下の台湾』精読を読んで目が点になって、再読。

そして今回。

今回は帝国主義に限って読んでみた。

この時点で矢内原は帝国主義とは何か、レーニン、カウツキーなど色々と研究しているはずだ。ナポレオン3世の植民地拡大時にはじめて帝国主義という言葉が使用され、その後英国のディズリーが植民地拡大を反対するために使用。よってその用語自体に意味があるのではなく、時代の流れの中で利用されてきたのである。

最初の帝国主義の定義が書かれているがそれは「独占段階における資本の対外的政治=経済的支配拡張の運動」とある。

さらに第一篇、第一章台湾の領有では日本の帝国主義的植民について、最後で議論している。難しく回りくどい印象があり、正確にメモできないかもしれないが。。

矢内原は日清戦争の時代、日本は未だレーニンの主張する独占資本主義の発展段階ではなくその戦争は国民戦争であったか帝国主義戦争であったか、即ち国民主義的植民か、帝国主義的植民か議論の余地がある、と。(195頁)

資本主義としての帝国主義体制はできていなかったがイデイオロギーとして帝国主義はあった。しかし、日本の台湾領有は欧米列強の帝国主義的領土獲得競争の中で行われ、当時の国際関係の帝国主義が日本の政策を規定した。日本は帝国主義の実質はなかったが形とイデオロギーだけを欧米から得た。よって資本主義が形成されていなくても国民戦争ではなく帝国主義戦争と言える。非帝国主義国家による帝国主義的実践であった。(197−199)

 

この本は発禁になったのでかなり筆を押さえて書いている印象を持つのだが。要は何が言いたいのか?欧米列強の帝国主義的領土拡大に見えて、日本はそうでもあり、そうでもない、という曖昧な議論ではなかろうか?

 

第5章の民族運動の章も実に面白い。私は最近「台湾研究者」に時々お会いするのだが「植民」「帝国主義」に関してどこまで知っているのか、この矢内原の議論を知らないのではないか、と思う事が多々ある。

後藤の台湾総督府医学学校学生一同に伝えた言葉に日本人と同等の待遇を求めるなら同化する努力をせよ。それまでは差別されても仕方なしとせよ、とある。そして「同化」「抑圧」と日本の評論家が批判する事に対し後藤は、懐柔同化も時として必要だし抑圧主義も実践上あり得るという言葉を紹介している。

台湾の近代的民族運動を導いたのは1914年に台湾を訪問した板垣退助で、それは台湾人を日本人に同化し、同等の権利を与えよ、という主張であった。これに台湾人が同調し、台湾人が同化を望んだのである。

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ここら辺から矢内原は傍観者としてでは、関係者として関わってくるはずだ。大正10年(1921年コミンテルンの活動が激しくなった頃?)林献堂、蔡培火、蒋渭水らが文化協会を立上げるも、マルクス主義の台湾無産青年会が大正15年に設立。連温卿指導の下「陰謀的行動を以て文化協会幹部の地位を乗っ取り」無産階級運動、即ち共産主義の陣地としたのである。(380頁)

矢内原は「帝国主義の発展は即ち帝国主義的矛盾の発展たるが故に。」と結んでいる。数年前これを読んでもわからなかったが今はわかる!帝国主義的活動、即ち植民活動は現地の発展を支援し、植民地が独立して行く事なのだ。これをアメリカの独立運動に関連して議論したのがスミスの国富論なのである。矢内原はスミスが英国政府に指摘したように専制政治は植民地が成熟したら止めろ、と主張。確かに専制政治は児玉、後藤の政策であったが同時に両人の台湾統治が科学的、生物学的政治であったと指摘し、臨機応変の精神をもって台湾の独立を提案しているのだ。(違うかもしれない。ここら辺はもっと勉強したい)