ベルツの日記を読んでから、もう一度草津を訪ねたいと思っていた。
クローズドの日米英独安全保障会議に声をかけていただき、某国(日本ではない)の安全保障機関が京都から東京までの新幹線代を出してくれることに。上野から往復1万円の草津を再訪した。
ベルツは奥が深い。噛めば噛むほど味が出る、そんな感じだ。
私のベルツに対する関心はインド太平洋を拡散したオーストロネシア語族と関係がある。新渡戸がベルツの言説を取り上げ、日本人マレイ系説、すなわちオーストロネシア語族説を書いていたのでベルツの論文を読みたいと思ったのがきっかけだ。
ベルツの日記を読むと皇室、伊藤博文との関係など意外な明治の歴史を知ることに。
今回、資料室で見つけたのはベルツのスパイ疑惑だ。しかも軍部の指示でその疑惑を探ったのが弟子の森鴎外。森鴎外は、そうだ、医者だった。
日清戦争後の三国干渉、日本で反独が高まっていた。1899年ベルツと森鴎外は小倉で再会。ベルツは人類学研究として北海道や九州を訪ねていた。ベルツは日記にもあったようなロシア、欧州諸国の政治的見解を鴎外に話したようである。そのスパイ疑惑説がベルツにも伝わったのであろう。日本を離れるきっかけにもなったようだ。日記にそれを匂わす記述があった。
もしかしたら日本国内での人類学研究にもブレーキがかかったのかもしれない。