やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

<平間洋一先生追悼>『軍艦「鳥海」航海記』

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元防大教授、平間洋一先生が(元海将補、元護衛艦ちとせ艦長)が2020年3月11日に御逝去されました。

インド太平洋研究会を2018年の11月頃に立ち上げる際、顧問をお願いしたところ二つ返事でお受けいただけ、励みになりました。お元気になられたら講演をお願いしようと思いつつ1年半が過ぎました。

平間先生のご業績に並んで、そのお人柄に参った、惚れた人が多いのではないでしょうか?私は平間先生が好きでした。博士論文に取り組んでいる時、応援してくれたのは平間先生と琉球大学学長だった大城肇先生でした。お前なんかに博論が書けるか、と平気で言う人が多い中で大きな励みでした。

 

手元にある平間先生の本も含め、一つずつ紹介させていただきたいと存じます。

訃報を受け取ってから数日後に『軍艦「鳥海」航海記』を注文し、太平洋上空で拝読しました。

平間先生の<やさしさ>はお父様源之助氏の愛があることがわかりました。もちろんお母様からも大きな愛で育てられたのだと思います。

航海記は戦争が始まる直前の1941年11月から始まります。日記には奥様のことも洋一先生の弟さんのことも出てきません。「洋一は大丈夫か、元気か。」としか。しかも何度も。。

そのことを洋一先生はこの日記を読んで初めて知った、とどこかで読んだ記憶があります。

なぜお父様の源之助氏は「ソロモン海戦」に参加されたことを一切語らなかったのか?最後にその理由が書かれています。ここには書きません。ぜひ本を手にとって読んでいただきたいのです。これは源之助氏だけのことではないと思います。戦争から戻った多くの軍人たちが家族を養い、戦後を生き延びるために抱えていた事だったのではないでしょうか?

さて、本文の日記の方ですが、当時の日本軍の問題がわかります。源之助氏はもちろん、80年後に自分の日記がご子息の手によって公開されると思わず本心で書いていらっしゃると思います。それ故に貴重な記録であり、視点、分析だと思います。現場を知らないものの判断の怖さ。これはいつも変わらない課題です。

戦争の論文はどうも苦手なのですが、太平洋戦争と言っても多くの戦いがあったわけです。『軍艦「鳥海」航海記』では「ソロモン海戦」の現場の様子がわかります。英米の基地はニューカレドニアであり、日本はトラック諸島であったことを改めて確認しました。トラックは日本領だったのです。日本は領有する広大な太平洋の海域と島を背後に戦争に臨んだのです。

日記の間に洋一先生の解説があります。これも貴重です。インドをめぐるドイツとの不一致。セイロン攻略をめぐる軍部内での不一致。これが米豪を遮断するソロモン海戦に。。まさにインド太平洋をめぐる戦争だったわけです。