やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

ナポレオン三世のニューカレドニア植民を起源とする「帝国主義」

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「帝国主義」よく使われる言葉だが、その定義を議論している人は、矢内原忠雄先生しか見たことがない。。

ニューカレドニアの独立の動きの中で、マクロンがナポレオン三世の植民地宣言の文書を返還したことを前のブログに書いたが「帝国主義」という言葉はまさにナポレオン三世のニューカレドニアをはじめとする拡大主義の植民地獲得を指して使われ始めたのである。

1955年に書かれた『国際経済論』に収められている第3章帝国主義論。植民政策を専攻とした矢内原の最後の論文だという。少々長くなるがまとめようがないのでそのまま写させていただきます。

第1節 帝国主義の概念規定

「帝国」empireという語はローマのimperiumから出たのであって、imperium  はimperator の支配する領土全体を指すものであった。即ち本国と属領とを総括的によんだのである。このような意味における広大な政治領土の支配はローマ帝国だけでなく、それ以前も、それ以降にも歴史上に存在したが、特に帝国主義(Imperialsim)という政治上の主義・政策が唱えられるに至ったのは比較的に近代のことであって、19世紀後半以降である。

イギリスで1870年代から帝国的連合(Imperial Federation)、帝国的結合(Imperial Union)等の言葉が用いられ始めたのことは前章で述べたが、imperialismという成語はフランスから始まった。即ちナポレオン三世が自ら l'empereur と称し、ニューカレドニア、交支那、カンボジア、ソマリランド及びメキシコ等に遠征軍を派遣して領土の拡張に従事したことから、imperialismが政策的意味を持つ熟語として使用され、特に海外侵略の野心の代名詞として見られた。

 

まだまだ興味深い説明が続くのだが引用はここまでとする。マクロン大統領は「帝国主義」が、ニューカレドニアに変換した植民宣言文書に署名したナポレオン三世が起源であることを知っているだろうか?