TWFriendが長谷部恭男教授の憲法論を推薦していてウェブで読めるものやYouTubeの講演をいくつか覗かせていただいている。途中までしか読めないのだが下記の記事を読んでいて思い出したのが英国のコークとベーコンのことだ。(下記に2人を対称した表を添付)
国王大権に関して大きく反対の立場を取った。コークはエリザベス女王の時は支持していたのだがジェームズ一世になってその解釈を変えた。(のだと思う。ウェブでざっと調べてまとめただけなので信用しないでください)
つまり、条文の枠だけで憲法がわかったような気にならないでほしいといっているのです。手形小切手法や道路交通法のようなものと憲法を解釈することは違うということです。
――条文にばかりこだわるというのは今の改憲論議にも通じます。
長谷部 現状と憲法の条文があってないように見えるから、憲法を変えるべきだという主張をしばしば聞きます。これは条文にこだわりすぎる「憲法典フェティシズム」で、それではだめですよ、というのが美濃部の警告です。
憲法典のない英国憲法は憲法学者の解釈が重要であることが、憲法成文のある日本での憲法議論と比較するとわかりやすいかもしれない。条文至上主義、即ち言霊信仰の良し悪しも日本の憲法学者がどこかで議論しているかもしれない。
コークが解釈を変えたのはジェームズ一世の出現なのではないか、と想像している。赤ん坊の時に親から離されて、母親のメアリー一世は処刑され父親は不審な死を迎えている。
一体どういう人格形成がされたのか?とんでもない人が王様になってコークは憲法解釈を変えざるを得なかったのでは?なんて想像し出したら面白くなってさらに勉強したくなったが、色々な事件が自分の身に降りかかってきて止まったままだ。
そうえいばコークに批判されたチャールズ1世はクロムウェルに処刑されたのだっけ。