やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

再び「やしの実大学」in与那国(3)奄美大島

与那国、比川浜を臨む石垣繁先生、第一回やしの実大学・八重山実行委員長

最近、私がやった事業は「私がやった」と言うようにしている。私の事業に一切関与していない人が私に教えようとしたり、酷いのは嘘の情報を撒き散らかしているからである。

で、「やしの実大学」は私の発案・企画・運営で90年代から進めてきた。ほぼワンオペである。

 

その前段がある。

私は太平洋島嶼国のジャーナリスト交流事業を、これもワンオペで運営してきたが、東京や広島の取材だと記事にならない。そこで「島で島を語る」と言う事業をこれも私の発案・企画・運営で立ち上げ、佐渡島・八丈島・奄美大島で開催した。奄美大島では、ばしゃ山の奥篤治社長が中心となって、地元考古学者の中山清美氏、南海日々の松井輝美氏が大きく反応し動いてくださり、「島で島を語る」から「島で島を学ぶ」「やしの実大学」を計画することになった。

 

しかし、いざ具体案を作成していく中で奥・中山・松井氏から

「僕たちは世のため人のための事業をやる気は一切なく、ロマンを求めたい。」と言うメッセージがあった。これでは事業計画書が作成できない。

「おじさんたちのロマンに公金を使用できません!」とまだかろうじて20代だった私が正論を返したところ、おじさんたちのガラスのハートがぐしゃぐしゃに壊れ「もうやらん!」となったのである。それだけではなく「早川はけしからん!」と東京の学者先生に言いつけ、その学者先生が財団に言いつけたのだ。結果、私は苦しい立場に追い詰められた・・・

しかし、奄美のおじさん達にも多少の反省があったようで、八重山毎日新聞の上地編集長を紹介してくれたのである。南海日々の松井輝美編集長がわざわざ八重山まで一緒に来てくれた。

 

それで「やしの実大学」は八重山で実施することになった。琉大の大城肇教授がこの事業を引き受けてくれた時期は奄美大島もカバーして下さった。奄美大島は鹿児島県である。しかし琉球文化を共有している。今は自衛隊基地まで共有している。

中山清美氏は2016年に亡くなられた。東京の神宮外苑の銀杏並木の下でお茶をした思い出が蘇る。何を話したのか思い出せないが、黄色く色づいた銀杏に中山先生はひどく感動していた。私はその銀杏並木と感動している中山先生のことだけ覚えている。