
オールジャパンで守るパラオの海
9月22日の読売新聞にパラオEEZ全面商用漁業禁止に関する記事が出た。
英文はこちら
"Japan boats face Palau fishing ban"
September 24, 2014
By Haruka Teragaki and Akiko Inoue / Yomiuri Shimbun Staff Writers
http://the-japan-news.com/news/article/0001583916
これでこのブログにもやっとかけます。
<法執行による集団的自衛権の行使>
今年初旬から、オールジャパンでパラオの海を守る仕組みをコツコツ作ってきたのだ。
記事には「日本政府はパラオの違法船の監視ができないか、検討を始めた。」とあるが水産庁が検討を始めたのは実は2008年で(追記2010年の間違いでした。)、やっと本腰を入れ始めたのが今年になってからだ。背景にはパラオ大統領のこの過激案もあるが、安倍政権の太平洋島嶼国重視がある。いくら官僚にその意思はあっても肝心の親分が動かなければ政府を動かす事はできない。
現在検討されているというのは水産庁の取締船の派遣である。戦後日本の海を実際に守ってきたのは海上保安庁と水産庁、この2つの法執行機関である。
私は勝手に「法執行による集団的自衛権の行使」と考えている。現在の安全保障、多様化、多角化している。法執行が一義的には前面に立つ事が重要である。
<日本財団、笹川平和財団の取組み>
この日本政府の動きをリードしたのが日本財団、笹川平和財団が2008年から開始したミクロネシア海上保安事業である。日米豪政府とミクロネシア3国の6政府と2NGOsの協力枠組みを形成し、現在小型の監視艇をミクロネシア3カ国に供与している。もっと言うとミクロネシア3カ国の地域協力枠組みを90年代後半から支援してきたのは笹川太平洋島嶼国基金である。
<Its not just about Fish>
クロマグロ、ニホンウナギ、捕鯨問題とここ数週間水産資源管理で大きな動きが出ている。水産資源問題、実は奥が深い。魚の話だけでは済まされない。日本漁船がアラスカのブリストル湾に出ていかなければ現在のEEZは存在していなかったであろう。戦後、1952年にはバヌアツのサント島に日本の遠洋漁業基地ができた。戦後いち早く太平洋で漁業を始めたのも日本である。ミクロネシア連邦は日本との国交の前に漁業協定があった。
70年代から協議されたEEZ。小さな島々が広大なEEZを持つに至った背景には、冷戦の構造もあるが、日本漁船の進出に対する豪州NZの警戒感もあるであろう。それが証拠に現在太平洋島嶼国のEEZを守る手段は豪州のパシフィック・パトロールボート・プログラムしかない。そしてこれが殆ど機能していない。担当する豪州王立海軍自ら認めているところである。
<オールジャパンで守るパラオの海>
今から100年前、チャーチル海軍大臣に頼まれて第一次世界大戦でANZACを守ったのは日本である。ANZAC未だに太平洋の広大な海を守る能力はない。意思とプライドだけはある。
広い太平洋、日本に守ってもらうしかない、と言っているのは米国である。キーティング司令官である。
日本財団が供与する小型船は主に沿岸監視を目的とする。外海は全くの無法海域であると言ってよい。そこを守るのは日本の取締船しかない。
そして忘れてはならないもう一つの活動は自衛隊OBによる海底に沈んだ不発弾の処理である。2012年から「日本地雷処理を支援する会」がパラオで活動を開始している。
パラオの海を守るために、農林水産省(水産庁)、国交省(海上保安庁)、外務省、防衛相(OB)そして日本財団、笹川平和財団の2つのNGOsによる、まさにオールジャパンの協力体制が構築されつつあるようだ。
