2011年の回顧 (1)
笹川太平洋島嶼国基金の寺島運営委員長に倣って2011年の回顧をしてみる事とした。
太平洋島嶼国との事業は、対米(対豪、対仏)の事業である、というのは財団に入った時(1991)からすぐに経験として感じていた。
政府の事業と違って、基金事業の相手はNGOや教育機関だったので、大事なところは白人が出てくるのである。
自分の2つ目の修士論文(国際政治)は渡辺昭夫先生にご指導いただき「ミクロネシアの地域協力を日米のコモンアジェンダとして支援する」という提案を含んだ内容である。
なので、ミクロネシアの海上保安事業が日米協力、日米同盟の新たな方向付けになる事はこの事業が始まる前から薄々気がついていた事ではあるが、2011年のミクロネシア出張で、確信する事となった。
2008年5月に本案件が着想されてからミクロネシア3カ国の大統領が合意するまで6ヶ月であった。
このスピードは現地に高いニーズがあっただけではない。PACOMのキーティング司令官がまさに同じ時期、太平洋の海洋安全保障に日本の支援を望むコメントをミクロネシアの閣僚に伝えていたのだ。2011年、この事を出張先で知る事ができた。点と点が一機につながったような衝撃だった。
ミクロネシア3国の安全保障は米国の手にある。米国が望む安全保障はミクロネシアの方針となる。
2008年3月、キーティング司令官が上院軍事委員会で示した中国からの提案ー「太平洋分割管理」案を受けて、笹川会長が「太平洋島嶼国との共同体」論を展開した。
この「太平洋島嶼国共同体論」が全ての始まりだった。