やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

1914

今から100年前。第一次世界大戦が勃発した。

この戦争処理が第2次世界大戦を導いた事は言うまでもないと思っていたが、ミクロネシアの周辺の話は意外と知られていないので書いておきます。

日本は日清戦争日露戦争とイギリスの代理戦争でさんざん痛い目に会って来た。

そこにヨーロッパで起った第一次大戦。太平洋のドイツ領(青島も)をあげるから参戦して欲しい、と日英同盟を締結するイギリスからの要望があった。日本海軍、そんなに乗り気ではなかったようだ。

しかし、豪州海軍が南太平洋のドイツ軍相手に、チンタラチンタラやっていたようである。南太平洋のサモアパプアニューギニア北部(ビスマルク諸島など)をドイツが領有していた。

イギリス政府はオーストラリア海軍の様子を見て、これじゃあ間に合わない、頼りにならないと判断。赤道以北のミクロネシアは日本に与えるとの秘密協定を締結。後にベルサイユ会議で正式に旧ドイツ領のミクロネシア地域は日本領となる。

そんな話聞いてないわよ!と怒り狂ったのが第一次世界大戦に後の方から参戦した米国。自分の取り分がないどころか、イギリスが勝手に決めていた事にも腹を立てた。それでウィルソンが秘密外交の禁止、民族自決を含む14か条平和原則を提案。この民族自決条項によりミクロネシア地域は、日本の正式には”委任統治領”となった。

ここの部分があまり知られていないようなのだ。

当方は、英米豪、ミクロネシアの人々を相手に下記のように説明している。

「豪州海軍が弱かったからチャーチルが日本の加勢を頼んだの。日本は前向きではなかったんだけど日英同盟があるから仕方なく参戦。秘密協定があったとはいえ、ミクロネシア地域は国際条約で日本領となったんです。侵略ではありません。英国が、チャーチルがあげると約束したんです。ところが米国がヤップを返せと怒りだしてワシントン会議を開催。日本は白人の共同謀議である事を見抜いた上で、これも譲ったんですよ。」

だからミクロネシア地域は日本の侵略ではなく、国際条約による日本への譲渡である。

ここら辺に前回取りあげた「自由連合」の起源がある。

米国は日本がヤップを確保した事が納得できず、ワシントン会議を開催し、日本にヤップ協定を締結させた。ヤップには米国とアジアを結ぶ海底通信ケーブルが施設されていたからだ。

そこまでしても米国は日本に我慢できなかった。日本の安く勤勉な労働力、良品質の安い製品が押し寄せて来る。当時はあたり前の人種差別が火を注ぐ。1929年の世界恐慌、対日経済封鎖、後はよく知られている話であろう。