やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

失われた8年ーオバマ政権の太平洋政策

グラント・ニューシャム氏の下記の論文を読んで、私が2008年から担当してきたミクロネシア海上保安事業を巡る米国の動きに思いを巡らせた。

【トランプ訪日】アジアの混乱:トランプが起こしたことではなく、引き継いだもの

https://www.newshonyaku.com/asia/usa/trump/2017111101

英文

Asia’s troubles: Trump’s inheritance, not his doing

http://www.atimes.com/asias-troubles-trumps-inheritance-not/

ニューシャム氏に関してはアメリカンセンターに経歴があったので下の方にコピペしておく。

2008年に開始したミクロネシア海上保安事業は、太平洋司令軍のキーティング司令官が公聴会で指摘した中国の太平分割論に、日本財団笹川陽平会長が反応し正論で意見を発表した事に始まる。

【正論】日本財団会長・笹川陽平 太平洋島嶼国との共同体を

2008/05/06 産経新聞

http://blog.canpan.info/sasakawa/archive/1358

この正論の記事の草稿の際、当方の意見も求められ、下記のミクロネシア重視の具体的支援内容が盛り込まれた。これは当方の意見でもあるが、1991年から私が再興させた笹川太平洋島嶼基金が行なってきた事、さら言えば1999年から基金運営委員長になっていただいた渡辺昭夫東京大学名誉教授(当方の2つ目の修論の指導教官で、基金運営委員に推薦したのは当方である)の樋口レポート始め、安全保障に視点を置いた対太平洋政策のお考えが反映している。

「新たな信頼関係の確立のためにも、ミクロネシア諸国と海洋の環境保全と持続可能な開発のための海洋管理に関する連携協定を結ぶよう提案する。

日本が得意とする漁業資源の管理や海洋調査、海洋開発など協力可能なテーマは多く、米国がミクロネシアの海底に敷設を計画している軍事ケーブルを島嶼国が利用できるよう技術的、資金的に支援する方法もある。

 笹川平和財団を通じて進めてきた島嶼国の人材育成の経験を踏まえれば、自然条件が似ている沖縄に留学生を迎えるのも効果的と判断する。さまざまな交流、連携を通じて、将来、日本とミクロネシア諸国が一体となった国家共同体を形成することこそ、わが国だけでなく島嶼国の平和と発展につながる。」

笹川平和財団ミクロネシア海上保安事業は、すでに構築された財団とミクロネシア諸国との信頼関係があったため、同年11月のミクロネシア大統領会議ですぐに合意された。このミクロネシア3カ国の地域協力枠組みを支援してきたのも島嶼基金で、この動きを利用する事を羽生次郎副会長に提案し、動いたのは私である。

この対中国政策として開始したミクロネシア海上保安事業は、豪州の親中ラッド政権の強い留保とは対照的に米国政府からは歓迎を受けた。しかし、徐々に「対中国」という色合いがなくなり、パラオのレメンゲサウ大統領が進める科学的根拠もなく、国際法上も疑義のあるメガ海洋保護区支援に変わって行った。これを必死で止めようとしたところ、羽生氏から会長室で何度か吊るし上げにあったことは以前書いた。

その背景にあるのがニューシャム氏が指摘しているオバマ政権下の親中対応であるのならば納得できる。

今、河野太郎外相が、笹川会長に9年遅れる形で、中国の太平分割論に異議を唱えた。

河野太郎外相、習近平主席の「米中で太平洋二分」発言に不快感「中国は太平洋と接していない」

http://www.sankei.com/politics/news/171110/plt1711100036-n1.html

なにを今更、でも大いに結構!(この言葉は渡辺先生の受け売り)

あとは有言実行で具体的に動いて欲しい。

さらにエルドリッジ博士と江崎氏との対談でもそのことが取り上げられている。

現在の問題として機能していない米国の国務省とそこが窓口となっている日本の外務省の存在。やはりここは河野外相、小野寺防衛相に期待するしかない?

【11月13日配信】江崎道朗のネットブリーフィング「トランプのアジア歴訪 評価と課題」ゲスト:ロバート・エルドリッヂ博士 おざきひとみ

https://americancenterjapan.com/event/201510051948/  より

日本戦略研究フォーラム上席研究員 グラント・ニューシャム

元米海兵隊大佐。軍人として、また外交官として在日米国大使館に勤務した経験を持つ弁護士。投資銀行やハイテク産業での勤務を含め、日本在住は20年。初の自衛隊海兵隊武官として連絡将校を務め、自衛隊の水陸両用能力開発に尽力する。ハワイに本部を置く太平洋海兵隊から派遣された武官として在日米国大使館勤務中は、情報収集と地域計画を指揮。1990年代中旬、外交官として在日米国大使館に勤務し、防衛と商務に従事。国際法を専門とする弁護士でもある。アジアにおける安全保障問題についてのフォーラムで頻繁に講演しており、クリスチャン・サイエンス・モニター、産経新聞、ジャパンタイムスなどに寄稿している。