やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

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 なぜ笹川太平洋島嶼基金がICT事業に重点を置く様になったのか。

 それは1988年に開催された「太平洋島嶼国会議」でフィジーの故カミセセ・マラ首相から故笹川良一名誉会長に、太平洋諸島のために衛星を打ち上げて欲しい、という要請があったことに始まる。

 USPNetやPEACESATが冷戦の落とし子であることは以前述べた。米国の衛星開発政策の一環としてケネディ政権が衛星の平和利用を唱えた。NASAに注ぎ込まれる膨大な国家予算に対する議会からの批判を回避する目的もあった。

 1988年この平和利用の中古実験衛星ATS-1が落ちていたのである。

 まだ通信の自由化もされていなし、インターネットもない時代。即ち国際通信がべらぼうに高額だった時代。この”無料”衛星ネットワークPEACESATを太平洋諸島の地域機関、南太平洋大学やフォーラム漁業局(FFA)も利用していた。まさに命綱だったのだ。(USPNetはPEACESATネットワークを利用して開始した)

 ところが冷戦がファイドアウトする中で米国の太平洋への関心もファイドアウト。もうその頃はアーミテージ氏が2006年にキャンベラで述べたように、米国にとって太平洋なんかどうでもよい、存在になりつつあった。

 米国政府はUSPNetだけでなく、PEACESATを運営するハワイ大学にも冷たかった。それで、1991年ハワイ大学から笹川太平洋島嶼基金に助成申請があった。新たな中古衛星を確保したものの政策会議を開催するお金が米国から調達できなかったのである。

 それで笹川太平洋島嶼基金はPEACESATとUSPNetという事業を抱えながらICT分野にのめり込む事になったのだ。インターネットを、ウェッブを財団で最初に使い出した理由はここにある。

 ところで、米国の冷戦の落とし子ーUSPNetとPEACESAT。冷戦後米国に見捨てられた両ネットワークは、偶然にも冷戦終結の時期に創設された笹川太平洋島嶼基金がその再構築、維持、改善、政策と言った全体的な図を支援することになった。

 即ち笹川太平洋島嶼基金は最初から米国との関係で太平洋諸島支援をしてきた事になる。基金の第2次ガイドラインには米国との関係を明記した。

 USPNetを日本が支援する事を世界中が賛成した訳ではない。

 米国、特にハワイ大学の関係者は自分たちが立ち上げたネットワークを横取りされるような懐疑心があった。インテルサットとの交渉もした。USPNetが独立したネットワーク構築を計画していたので、現地の電気通信会社の反発は大きく、命の危険も感じたほどだ。

 USPNet申請書ができるまで、多くの人々の貢献があるが、基金はこれらの利害関係者とのロビーイングが一番大変であった。このような背景があり、ICTの技術的支援もさることながら、90年代後半からICT政策分野への支援に重点を置く事になったのである。