アマルティア・センかアダム・スミスか。ハタマタ、沖縄のオバアか。
アマルティア・センの『自由と経済開発』を読了した。
日本語の本は博士課程を始めてから何度も読んでいてボロボロになっている。
いよいよセンのCapability Approachを展開する決心をしたので英語版を読み始めたが、これが難しい。それで日本語と平行で読むことにした。
超遅読術で約3ヶ月かかった。
正直に言って疲れた。わかったようなわからないような。まあ、センの専門家でも10年やってやっとわかった、と思うことがあるそうなので、専門家でもない自分がわかるはずがないのだが。
それでもセンに出会えてよかったと思っている。
特にセンを通してアダム・スミスに出会えたことは感謝している。
謝辞でセンが書いている様にこの本はセンの妻でありアダム・スミス研究家のエンマ・ロスチャイルドの貢献が大きい。共著と言っていいくらいにアダム・スミスが四方八方に散らばっている。
『国富論』のアダム・スミスは市場原理主義の親玉みたいなイメージがあったが、どうやら私だけでなく、世界中がスミスを誤解している様なのだ。スミスは倫理道徳学者で『国富論』よりも『道徳感情論』の方に力を注いでいた。さらにジュピターの「見えざる手」を展開する基礎となった『天文学史』も重要なのである。スミスの全体を観ないと『国富論』は理解できないはずなのだ。
センを通して、即ちエンマ・ロスチャイルドを通してアダム・スミスの真実の姿を知り得たことは幸運であった。
「人間の幸せと何か?」。言葉にすると非常に簡単なテーマなのである。
センの難しい文章を読んでいると「沖縄のオバアに聞くのが一番だよな。もっと優しく簡単に教えてくれるに違いない。」と本を放り出したくなることもあった。彼女達が人生の達人であることは誰もが認めるであろう。島人に人生哲学を語らせたらノーベル受賞者も負けるはずだ。
それでもこの数年、センやスミスを読みながら、荘子を訪ねたり、聖書に行ったり、太平洋の島で海洋安全保障を考えたり、京都で禅や仏教、能、歌舞伎に遊んだり、かなり充実した時間を過ごしたように思う。