音楽のDNA - 古代ギリシャに求める声明とグレゴリア聖歌の起源
昨年の事だが、未だに感動しているのが、京都、大原、勝林院で聞いた声明。
「これ、グレゴリア聖歌」だと直感で感じた。
仏教文化に西洋のDNAが残っている可能性は最近知った。
吉田考著『日本の誕生』は15年以上も前に渡辺昭夫先生から教えていただいた書籍だが、そこに
「学問的にはまったく根拠のない、法隆寺のエンタシス=ギリシャ起源説が、広く普及したのは、そのような背景があった。」とある。
そのような、とは100年以上前の「脱亜入欧」の時代思潮の事である。
私もなんとなく、この主張を信じて来た。
法隆寺とギリシャがいくらなんでもつながるわけない。回廊の柱のデザインが似ているのは単なる偶然、と。
その後、考古学者の愚夫のおかげで、この説をはじめに説いたアーネスト・フェノロサの論文の内容を知る機会があり「学問的にはまったく根拠のない」というのが「学問的にまったく根拠のない」議論である事を知った。
日本の仏教文化が北インドの影響を受けている。北インドはアレキサンダー大王の遠征でギリシャ文化の影響がある事を根拠にフェノロサは論を展開しているのだそうだ。(ちなみに私はフェノロサの原文を読んでおりません。)だから、日本の仏教文化にギリシャの面影があっても「学問的」に不思議ではない。
西洋音楽、グレゴリオ聖歌もギリシャ音楽を起源としているらしい。
そうであれば、グレゴリア聖歌と日本声明、特にその原型を残す天台声明が似ていても不思議ではない。
だから声明に起源を持つ日本音楽に、長唄とか能音楽にギリシャのDNAを感じても不思議ではないし、西洋で展開したクラシック音楽を日本人が傾倒するのはその同じDNAを感じているからかも、しれない。
最後に、少し太平洋島嶼の話につなげるてみたい。
アダム・スミスは植民地論をその語源でもあるギリシャ、ローマの植民地政策から論じている。そして日本がスミスを継承して統治した太平洋島嶼では未だに日本の音楽が歌い継がれている。
団伊玖磨さんから直接聞いた話である。テレビの取材でポナペを訪ねた際地元の子供達が歌うのを収録。団さんはそこで「日本の音楽にとてもにたメロディーです。」とコメントしたそうである。日本に帰ってその録画を見るとその音楽は日本の歌そのもの。現地で収録したコメントを消す訳にもいかず困った、というお話でした。音楽って意外とDNA的連鎖をするようだ。