やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

南太平洋大学学長の握手 - SIDSサモア会議(4)

今月初旬に開催されたSIDSサモア会議。海洋政策研究財団のサイドイベントにスピーカーを確保する事が当方の役割の一つでした。 パラオ大統領の件は既に書きましたが、大統領のハグだけではなく、南太平洋大学のチャンドラ学長から握手を求められたのです。 なぜでしょうか? 同大学の遠隔教育システムUSPNetに続き、Japan-Pacific ICT Centreが日本のODAで設置。現在もICT開発(情報通信)を中心にアジ銀、世銀その他あらゆる支援がつきない南太平洋大学。太平洋地域全体のICT開発の牽引者ともなっています。 そのきっかけを作ったのが笹川平和財団なのです。 これは何度でも繰り返したい。日本政府は、外務省は、JICAは、20年前、南太平洋大学にも遠隔教育にもこれっぽちも関心はありませんでした。 ではなぜ笹川平和財団が? 1988年に太平洋島嶼会議を開催した笹川平和財団。その時にフィジーのカミセセマラ首相から太平洋島嶼国のために衛星を打ち上げて欲しい、と要請されたのがきっかけなのです。 「衛星打ち上げ、一応調査しましたが、とてもとても。もう少し規模が小さくなりませんでしょうか?」 「では、USPNetをなんとかして欲しい。」 USPからの申請案を受け取ったのが1991年で、当方が財団に入った年。今のチャンドラ学長に出会った年でもあります。 スッタモンダの経緯はすっ飛ばし、最終的に笹川陽平営委員長(当時)の判断でODA案件に。その後のスッタモンダもすっ飛ばすと1997年橋本ボルジャー共同記者会見でUSPNet支援がめでたくODA案件となったのです。(この時も豪州は日本の関与に難癖をつけたが、最終的に日NZ豪の共同案件となった) レメンゲサウ大統領のハグはその意味を今でも探っていますが、チャンドラ学長の握手の意味は明確で「もうUSPNetの歴史を知っているのは君しかいなくなった。」とはっきり言っていただきました。 チャンドラ学長、SIDSではダブルブッキングをされていましたが、海洋政策研究財団のイベントには学長代理で副学長を出していただきました。 News @ USP "USP committed to Marine Research in the Region" http://www.usp.ac.fj/news/story.php?id=1620