ブログのカテゴリーにさせていただいている"The Melanesian Way" について、同名の書籍を最近斜め読みだが、目を通したので簡単にまとめてみたい。
Bernard Narokobu, "The Melanesian Way", Inst. of Papua New Guinea Studies, 1983
パプアニューギニアの哲学者にして政治家のバーナード・ナロコビ博士(1943-2010)が1976年から1978年にパプアニューギニアの新聞ポストクーリエ紙に"The Melanesian Voice"と題したシリーズを書き、その中から45の記事を集めたのがこの書籍である。
ナロコビ博士は愚夫の友人で拙宅にも数度、お泊まりいただいた事があるが、なぜ10年前(お会いした当時は大使だった)にこの本を読んでいなかったのだろう、と読みながら何度溜め息をついた事か。
ナロコビ博士は言う。国を統一するのは国会や国道、軍隊ではない。イデオロギーや哲学である。そしてThe Melanesian Wayこそそのイデオロギーであり哲学なのだ。
何度も繰り返すが、バヌアツの3千年の人類の歴史、パプアニューギニアの5万年の人類の歴史の中で、始めて数百の言語、部族が統一を試みているのである。(進行形にしてよいであろう。)
ナロコビ博士はThe Melanesian Wayは定義でいない概念だという。まさに神にアナタは誰ですか?と尋ねて”I Am Who I Am”と応えるがごとし。
45編で語られるメラネシアンウェイは意味のない、ロマンチックで、弁解じみているかもしれない、とナロコビ博士は断っている。
ナロコビ博士は、さまざまな例を出しながら「これがThe Melanesian Way」と説明を試みている。それは確かに”意味のない、ロマンチックで、弁解じみている”のかもしれないが、底辺に流れるものとして3つを上げたい。
1.欧州のキリスト教や植民地文化がもたらされる遥か数千年以前より、メラネシアには彼らの哲学、概念、価値観があった。
2.当時(多分現在も)メラネシア諸国に存在する白人優先主義に対する強烈な批判精神
3.そして選択の自由が、植民地支配から解放されたメラネシアの人々にはある、という事を繰り返し述べている。即ちナロコビ博士、パプアニューギニアの国父ソマレ閣下、そしてバヌアツの国父リニ首相等々メラネシアの指導者は自分達の運命を自ら選択できる事を、またその意味を理解していた。
この国家としての選択の自由は、援助に頼らざるを得ないメラネシア諸国にとって進行形の課題であろう。
また、メラネシア諸国が、ミクロネシア、ポリネシア諸国と違った「多様性の統一」という課題を抱えていること、さらに欧米の価値観への批判精神が、メラネシアスピアヘッド、というサブリジョナルな動きを早期から誕生させ、現在もその政治的動きが加速している理由であろう。
このナロコビ博士のThe Melanesian Wayの一部がウェッブに公開されています。
http://www.alastairmcintosh.com/general/resources/1983-Bernard-Narokobi-Melanesian-Way.pdf