やしの実通信 by Dr Rieko Hayakawa

太平洋を渡り歩いて35年。島と海を国際政治、開発、海洋法の視点で見ていきます。

日米を結ぶニイハウ島の0

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 確認していないが、右は西開地重徳一等飛行兵曹の写真で、左は名札を持っていた米兵のJack Armstrong氏の写真、だと思います。

アメリア・イアハート失踪を巡る日本軍処刑説のレベルの低ーい情報が駆け巡り、これで小遣い稼ぎをしようとしたマーシャル諸島在住の白人のご老人から謂れもないバッシングを受けている最中、LA在住の親友からメールがきた。 「四国の西開地重徳一等飛行兵曹のご遺族に、太平洋航空博物館(パールハーバー)の担当者が名札を届けに行ったそうだけど日本でニュースになっていない?」

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友人と私

フィルム制作者の彼女がニイハウ島のドキュメンタリーを制作した時日本軍の何かを見つけ、今パールハーバーの博物館にあるのよ、という話は以前から、しかも何度も聞いていた。 私は一切関心がなく(!)ヘー、と聞いているだけだった。 彼女が作成したフィルムはこれ。 http://ohanafilmworks.com/OhanaFilmworksNiihau.html

今回はアメリア・イアハートの件で日米分断か、と気が滅入ってたせいであろうか、このニイハウのことに初めて関心を持った。 友人が見つけたのは西開地重徳一等飛行兵曹が乗っていた零戦!だったのだ。

長い話を短くまとめると、、

2003年、ニイハウ島の所有者Keith Robinson氏に招かれた友人はRobinson氏から零戦の残骸を見せてもらう。あれから62年。零戦はニイハウ島にそのままの姿で残されていた。(ニイハウ事件はまた長い話なので省きます)私の友人は零戦の重要性に気づき、次回は歴史家の友人を同行した。そして太平洋航空博物館の担当者がその後に来て、博物館に収容されることとなったのである。

話はまだ続く。

太平洋航空博物館で零戦の展示を観た米兵が、自分の米兵だった父親がニイハウ島から持ち帰った遺品を同博物館に寄贈した。これは西開地重徳一等飛行兵曹がもっていた名札だった(下記の写真)。生憎名札の遺族を見つけることはできず、ハワイの日本総領事の手配でこの6月に四国の西開地氏の遺族に渡されたのである。 私「あなたって、日米関係修復の重要な役割果たしたんじゃない!」 友人「そうよ」 ちなみに彼女の父親はレーガンの友人で、戦後のハリウッド音楽業界を作った人である。 日本でニュースになっていないか探したがない。友人の許可を得たのでここに書いておきたい。 良い話はニュースにならないのだ。

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ところでパールハーバーの太平洋航空博物館にはアメリア・イアハートの展示もあるそうだ。