「米国は日本の女性の地位が低いとか言うけど、関西のおばちゃんパワーを見てみなさい。日本には日本の価値があって、女性もそれなりの地位を持って来たんです。」
海洋政策を語っていた時に、男性の上司から出てきたコメントである。
ご本人の安全のためにお名前は伏せておく。
関西行きの飛行機に乗った時「関西のおばちゃんパワー」に硬直した経験が何度もある。
無位無官、無収入の専業主婦。そのパワーは筆舌に尽くし難い。
経済学でもGDPに出て来ない専業主婦の経済効果を無視してよいのか、という真剣な議論があるらしい。
それで思い出したのが、ご主人の仕事の都合で島国生活4年目に入った専業主婦の友人の話である。
メイドさんや庭師、玄関番がいる生活だが、苦労も多いようである。
玄関番は常に居眠りをしている。メイドさんは平気でモノをもって帰る。
それから借金をよく頼むらしい。
人を変えても状況は変わらない事を学ばれたようである。
友人「貯金を教えているの。」
私「えっ、銀行に連れて行くの?」
友人「ちがうちがう、ビンに毎月のお給料から少しずつ貯金させるの。お金が必要になった時にそれを渡すわけ。」
無位無官、無収入の専業主婦はスゴイ。貧困問題対策のルーツを見るような気がした。
世銀、アジ銀は専業主婦に学べ。
私も経験がある。島に住んでいる祖父母が病気で急に帰国しなければならないから飛行機代を貸して欲しいといわれ、貸したお金は戻ってこなかった。
島人。確かに貯金というアイデアが薄いかもしれない。
江戸っ子と同じで宵越しの金は持たねえ。
なぜか?
友人によれば大家族で相互扶助のシステムがある事。即ち困っていれば誰かが助けてくれる。また困った人がいれば自分が助けなければならない。
私のモノはヒトのモノ。ヒトのモノは私のモノ。
だからメイドさんが「あら、これステキ。」と持ち帰っても、置いておく当人が悪いという事になるらしい。貯金も必要ない。
マックス・ウェバーだったらどのように分析するであろう?
人間社会の、究極的理想的形態と言うような気がする。
「貧乏人の経済学 - もういちど貧困問題を根っこから考える」が2011年に発表され話題になっていた。
なぜ貧困から抜け出せないのか、多くの事例を示している。手っ取り早く知りたい人は下記のTEDに筆者の講演がある。
「エスター・デュフロ: 貧困に立ち向かう社会的実験」
http://www.ted.com/talks/lang/ja/esther_duflo_social_experiments_to_fight_poverty.html
無位無官、無収入の専業主婦。経済、政治的視点からの研究は急を要するかもしれない。